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許すな善等













ハンニバル・ライジング

この頃また読書傾向が強く
きっかけは人の家で読み始めた江戸時代ものだったが、
続編探しの本屋通いが相して、好きだったトマス・ハリスの新作(新作か?)
ハンニバル・ライジングを見つけて読み
映画も借りて見た。


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上下巻を読み終わり、
翌日借りたDVDを見た感想を言えば
映画で伝わることの細部は文章の半分に満たない。
原作の映画化というのはまずそう言うものだろう。

しかし、この映画で、省略されてしまったことでよかったメッセージがあるような気がした

表現者と言え人間は年を重ねやや感傷に陥るものだ。
一般的にもそうだろう。
ところが芸術家の中には老いて尚、鬼気として人間性の枠外に出て居続けられるタイプもいる
絵画や美術系の人にそれは顕著ではなかろうか。
一方、文章に委ねる人間は簡単に言えばヒューマニズムに回帰する場合も多い。

それがこのハンニバル・ライジングの中にも見えた。

記憶の宮殿に自我を構成し、現犯罪社会に理解不能にまで君臨した
ハンニバル博士の
心の奥に
人を愛する原点があり、
復讐の上に変化した怪物の心理過程に、年老いてしまったトマス・ハリスのやわな理性が見えた
家族の衝撃的な喪失に、大切な妹の死をきっかけに、記憶を無くし、
心ならずも。しかし必死で取り戻した記憶のかけらから
無情な行動を始めるハンニバルに気持ちも揺らぐが、
一方で異常心理を解明できないほど残酷なそれまでの
レッド・ドラゴン、羊たちの沈黙
そしてハンニバルでの彼とは一線を画す。
簡単に言えば食肉癖の悪魔ハンニバルは
人間(?)と同じ家族愛の
故の崩壊から悪鬼に変貌する、
というのは、やや当然過ぎるか。
超越した異常者に怯えた今までの小説とは異なり
今作はある種の雑な親近感を覚える、
それに比べると映画のハンニバル・ライジングは説明不足が功を奏し
”やっぱり、狂ってる”
印象で見ることが出来る・

人にはそれぞれのシンパシーがあって
レクター博士に人間味が在って良かったとする人もいるかも知れない。
それ以降の振る舞いの原点が人間性の発露に他ならないほうが合点はいくかもしれないが

しかし、
僕らが惹かれたハンニバル・レクターは
それだったのか?
パクパクと脳を食う事に馥郁を満たす彼こそ魅力だったという人なら
レクター博士は依然、冷静で不断の異常者で在ったほうが良いような気がする
本を読まずに映画だけ見たときにどう感じるものか、自分ではもはや無理だが。
原作よりははるかに外れた行動が印象に残り、愛無く見える。
が、
もしかすると片鱗には、レクター博士のヒューマニズムが現れているのかもしれない。
復讐は愛の変化だ。

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by c7 | 2008-12-25 22:40 | 愛読愛聴


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