さて、2020年 1月17日はかみさんの何十回目かの誕生日、
色々トラブルも絶えない我が家だが、
リチュアルなものを変わらずと言うのも
きっと大事かと、
かみさんが好みそうなレストラン、は何だろう。
と考えて今回は行き着いたのが
”ラベットラ ダ オチアイ”
これは今更ながら少々ミーハーな選択は承知のことだった。
かみさんも一人のおばさん、
世のおばさんはなぜか落合努が好きなんだ。
もちろん落合さんの功績を貶めるつもりは全くない、
イタリアンをいい意味で良心的な価格に安定させたことも
他の料理人では出来なかっただろう。
味について、は。
ちょっとこれから書いていくことだが。
まだ落合さんが今ほど有名ではなかったころ
もしかしたら30年くらい前のことだけど、
外食好きの後輩が行きたいって言った所が
赤坂のTBSの地下にあった、
当時落合さんが料理長をしていたグラナータ だった。
正直すごいインパクトだった、
まだ20代も若いころの自分にとって
イタリアンって言ってもせいぜいスパゲティー何種類かくらいしか
知らない。
メニューには意味不明なイタリア語の料理が沢山載っている
それに一番驚いたのは、客は日本人より
圧倒的に白人が多い、イタリア人ばかりかそれはわからないけど。
その欧米人たちが、
彼らが昼から白ワインを飲みながら
巨大なプリッツみたいなものを食っている。
グリッシーニなんて知るはずもなかった。
すべてが未知数すぎて、
味がどうだったとかは実際覚えてない。
ただイタリアンという異次元を知った感じだった。
そのあとから落合さんのベットラ快進撃が始まるのだが、
あまり知ったものではなかった。
知っているのはとにかく予約が取れない店っていうこと、
個人的には、長時間並んだり、
必死に予約を取るような店にはそれほど興味が無い。
それでも日本ではその手の店が強く評価されるのもわかっていて、
ひとえにかみさんの興味もあり、
10年前の入籍記念日4/17 シイナの日に
3才の娘もつれて
ランチに訪れた。
ミーハーな客層に好意的になれなかったこともあるだろうが、
味を評価することはできなかった。
ハートに触れるような個性は無いし、
不味くは無いが凡庸だと思った、
名物のウニスパゲティーは
水っぽくシャバシャバに感じた
お上りさんやイタリアンに疎い接客の対応に
ホールのスタッフも疲れているのか
丁寧には思えなった。
まあ、一応の体験としてはこれでいいじゃないか、
そしてベットラとはこの時点で終わりでもいいかと思った。
と、言いながら今年
2020/01/17に再訪となったのは
もしやディナーならもう少し違ったことになるのかと思ったのもある、
し
それに味やお店のクオリティーがよしんば評価に値する程でなかったとしても、
かみさんはラベットダラオチアイでディナーの機会を
喜ぶだろうと思った。
味は、化学式ではないから。
そして今回の訪いで、
感じたベットラのあれこれをまず先に言うなら、
味は、凡庸なのではなく王道なのか。
奇抜な個性は無くていいのだろう、日常を繰り返すのなら、
飽きられるものよりも、持続可能な料理が良いのかも
そして、接客というよりは、ホールのスタッフは誠意があって
サービスの本質を改めて考えてさせられた。
話はあらぬ方に飛びますが。
個人的に本当に美味しいものを食べたとき、
いやむしろ味というより、
本当に意味があるものを食べたときに多分、
背中がぞくぞくして、ちょっと震える時がある。
美味しいものは日々あるが、これはめったなことでは起きない、
それが、今回いただいた食事で2度ほど出た。。 娘が満面の笑みで頬張った、
4種類のチーズのペンネ、
4種類って何だろうって話になったとき、
ゴルゴンゾーラ、、、
かみさんは、”うーん、チェダーとかじゃない?”
イタリアンでチェダーは使わないだろう、
それも微笑ましいと思った。
ホールのおねえさんに教えて貰った
正解は
”ゴルゴンゾーラ、パルメッジャーノ、ペコリーノ
そして初めて知った フォンティーナ”
娘が分けてくれた一口で、背中がぞくぞくと痺れた
いわくつきのウニのスパゲティーは、
前回10年前も食べて、水っぽいと感じた一皿
今回あえて頼んでみたその味は
これまた背筋に電流だった。
前回より確実に美味かったのか、
自分の理解力が上がったのか、
とにかく美味かった。
思い返してみたら、電流が走ったのは
なんと7年くらい前、山形の友人の家を訪ね、
そこで出された飛んでもない里芋、
”佐藤さんの甚五右ヱ門芋"以来だった
他の料理もそう。
とにかくキザな料理じゃない。
超高級食材でもないし、とびぬけたインパクトは確かに無いんだけど。
よく味わうと、飽きの来ない、繰り返し楽しめる
当世言うサスティナブルな料理だった
接客は。
前回、なんとなくシステマチックというか、
流れ作業のような気もしたのだ。
今回はそれは大分違って感じた、
パンを嬉しくて食べ過ぎた娘は
メインのロースステーキ序盤で満腹を訴えた、
その様子を見とめたホールの責任者風の男性は
お持ち帰りにしましょうか?
と進言してくれた、
このサービス自体は珍しくはなかろう。
おみや文化は寿司屋でもよくあるし
欧米の飲食店なら、食べ残しを包むのは一般的だ。
それでもこの時の一言の持つ雰囲気が
ただ感じ良くて、心が死んでないって思えた。
別れしなに、店の外で手を振りながら、”パンにはさんで食べても美味しいよ!”
の一言も、料理に対する愛の一片ではなかろうか。
そして、
小雨の23時、タクシーに乗り込んだ私達の目にベットラのホールの女性が、
荷物を抱えて懸命に走っている姿が飛び込んできた。
”お客さん何かわすれもしたのかね”??
それはなんと家内だった、、 買い物の袋を忘れた彼女、
その荷物を私たちが遠ざかった方角に
必死になって追いかけて来てくれたのだ。
勝手だけど、ベットラのスタッフは
ある類のサービスを守る大切さを知っているのだな。
味は化学式ではない
あらゆる取り巻くアトモスフィアが
五感に作用するに違いない
背中がぞわぞわするのは一つの方程式かもしれないが、
それだってやはり味だけではない。
選択肢に他のイタリアン、フレンチもあった。
ましてや新しい店、新しい料理を試したいって気分もあったけど、
結果的に、
訪れたベットラに、教えらたことが多い。
料理というのは外食という以前に
料理だということ。
20年持ちこたえている店にはちゃんと理由があるんだろう
感覚だけど、ベットラはこれからも潰れないだろうって思った。
頻繁に行くことはないだろけど
ちょっと
応援したい。
惜しいとすれば
やはり客層はおばさんや女性主導のカップルが多く、
イタリア料理への愛は乏しそうに思えた
30歳くらいのカップルは食事の間中
メルカリで洋服を検索していた。
外食で過ごす時間の、なにが一番大事なのかは論ずるすべもないけど。
いまそこの、
料理人や、サービスや、
牛や豚や魚や
トマトや人参や、
一緒に食事している人に感謝した方が、良いような。
そんな風には
思います。