川苔山百尋の滝 ~ 日常と言うものの変換



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正直写真で絵になるポイントは少なく
極論言えば百尋の滝くらいしかないのだけど

山道として意味深い趣きも感じたので
久々ブログにしてみようかと思います


奥多摩の名瀑、百尋の滝、それとワンセットの
川苔山(川乗山)は
なかなかの人気で
言葉も少々古びてきたが、
”山ガール”も、徒党を組んで入山してくる

メインの百尋の滝⇔川苔山を結ぶルートはそれらの有象無象が
ひっきりも無しに上り下りするが

今回のコースは
逆斜面からのルートで
全くの人気薄。

振り返れば入山口、そして下山終点には
それぞれ神社がありその人気薄が功を奏し

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森閑としたその佇まいに思わず厳粛な気持ちにもなり
神も仏も信じないで彼岸に行った(?)男の息子としても
霊験を感じたりして。

人っ子一人いない赤久奈尾根(赤杭尾根と書く)は、
奥多摩にしては意外とスケールが大きく、
巨大な森のような登山道を一人歩き楽しませていただいた

尾根の名ともなる、赤久奈山の頂きは、また無縁仏のように儚いが
これもまた山、三角点のしるしもありました
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川苔山頂上直下の分岐で一旦向かいの尾根を滝まで下り



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その真横にて昼食は不朽の名作サッポロ一番味噌ラーメン

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最近は山飯礼讃なるようなツイッターもあって
バリエーションも多いけど
一世代前の山オたちは、必ずと言っていいほど
インスタントラーメンを携帯して山に入った。
昔は山でのインスタントラーメンの比較サイトまであった

なんだかきわめて人工的な食べ物が
大自然の中で食される妙な交錯を思いもするが
もうこれは習慣なので。


この滝オプションのルートは一般的な周回コース、
プラス、行程上では3時間半のタイムとなり、
あまりのんびりも出来ず頂上に登り返した




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登り返して1時間半、14:30の山頂は人気もひと段落した感だが
それでも遅いランチの登山者もまだ多い。
結構のんびり組も多いね、初夏だから日も長いし。

秋ならばちょっとその時間まで頂上に居るのは考えてしまうな
とか、考えながら
早々に下山。

あとはいつもの消化試合の体の下りをひたすら降り、
下山道終着点には
熊野神社がひっそりとあった


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僅かばかりのお賽銭で無事とこれからの幸せをなんとなく祈るさ中
賽銭箱の脇に視線を下すと
東京は多摩の銘酒
澤乃井のワンカップが供えられていた
なんとも粋なお供え。


正直なところ、
単独登山はメインでは無く
どちらかと言うと同行者を求めて日々電話を掛けるのだが
たまの一人歩きは、頭の整理にも良いし、
また、静謐と無音の音を感じるにはそれも最適だと思う。




日々是非日常。
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# by c7 | 2015-06-07 20:15 | 山歩き

古事記 ~ 神無き国の神読書




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先日他界した父の名のもとに
神も況や宗教も信じていないが、為に、
諧謔的に読んでみようと思い、
また、
池澤夏樹は、故星野道夫とも懇意であったし、
その写真家の文章を高く評価した人物であり、
北海道生まれで現在は沖縄に居を移した、と言うあたりも
無視できない人物ではあるので。



古事記と言うのはむかしむかしの日本の本、
程度にしか見識は無いが、
ざっくり言えば天皇家の歴史物語の体で
太安万侶となる人物が編纂したと言われる
口述伝文の、書籍化となろう


当時の天皇に無理やり頼まれて
いやいややったのではと邪推も含めつつ
読むのだが

まず冒頭に
池澤夏樹があろうことか太安万侶に対し二人称で
手紙を書き始め、(つまり”やすまろさま、私は池澤と言います”、云々、みたいな)

これは、
あまりにもだらしない。

文章家を標榜するなら決してしないんではないかと
訝しい。

故人で読むことが絶対ない人に手紙の体裁の文章を
書くとか、
おセンチ、メルヒュン以外の何物でもない、
と、のっけから読む気なくなったが乗りかかった船なので
読んでみた、が、
とにかく神様の名前が
膨大に出てきて
正直鬱陶しい

物語もあるにはあるが、
ほとんどが名前の羅列と言ってよく。

ただ一点、地名、言葉の由来など
その点については薀蓄として面白かったかもしれない


例えば罠、と言うのは
そもそも縄から作ったので、わな
とか。


言葉の持つ妙味みたいなものに
いちいち嬌声を上げている自分も小さいなと思いつつ

しかし、語源、語法の変遷など、
興味深くはある



ゲンを担ぐのゲンは縁起が語源
あたらしいと、あらたに。は同じ言葉
だらしない、は、しだらでないの変化、ふしだらの類義語

ばーそーくいたちでルービーぱいいち
なんていう言葉も
案外その用法の起源は古い。

そういった事で言えば
なかなかに面白い本だったけれど






特にお勧めはしない。
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# by c7 | 2015-04-02 12:35 | 愛読愛聴

父と革命とわたし~1











父は、
太平洋戦争のさ中、外国語大学で当時は敵国の、中国語を学び、
戦後迷わず政党機関紙の記者、そして活動家の道を選んだ



家では、特に優しくもされず叱られもせず、
ただ、


選挙が近づくと、ビラ折り、その投函を兄弟で手伝わされた

あるとき、たまたま投函した家の友達から
やんわり


“お前の父ちゃん面倒くせえな”と言われた、

別にそれに腹が立ったり、傷ついたわけでは更々無いし
父親を恥ずかしく思った事も無かった、



ただ、自分は政治には絶対に関わらないと心に決めたのもその時分だった




幼い時は、”コミュニティーパーティー”ってなに??

そのような質問もして両親を嬉々とさせた事もあったが、
物心がつくにつれ、結局は誰をとってもの政治家全体への不信もさることながら、


両親共々、政党の活動、仕事に血道を上げるばかりで
家族の絆は正直希薄だった事への失望感、


大人になって、こう言う家庭は、作りたくないな。
漠然とでも決めてしまった、






また、父はその政治的立ち位置から、宗教母体の政党を根っから敵対視していた、
ある時、我が家に寄付をお願いに来た身体障害者(を装ったと父は見ていた)を玄関先で
猛烈に罵倒し、追い返した。
当時自分にはその意味は分からなかったが、
結局はその宗教団体の差し金で金を無心に来たと理解した。





政治の事では、反発と言うよりは一切啓蒙を受けなかったが
一点そういった信仰宗教 或いはすべての宗教が結局似非だと言う観念は引き継いだ
父の思想は絶対的唯物論で、社会学的、科学的に神、またはらしいものの存在する余地を全く持ってない
マルクス・レーニンに心酔した父に神は無く、お蔭で自分も神仏を信じるのは相当難しい、



迷いもなくで否定できるほど達観もしてないが、かと言えやはり受け入れ難い



政治も宗教も古代から人を三角錐型に管理、統治するためのシステムにしか見えなくて
そこに善も仁義も無ければ、むしろ悪がある、そう見えた、



その分、知恵でサイエンスは理解出来ないのに、
時にホーキンスの、科学は地球を征服するものでは無く
人類を幸福に導くためのもので、決して恐れるものでは無い。
と言う記述に、分けも無くほっとする

真実の無い者が愛や平和を口にして人を懐柔しようとする世も末の世で
科学こそが真実の愛と平和のように錯覚を起こしたりする

自分だって上っ面では哲学や愛の思想を語ろうと思うんだが、
結局腹の底で、その愛と平和の謳い文句に口さがない奴を許せず、




若い時はひたすら粗野で無秩序な振る舞いに徹した





今でもそうだけど、結局自分に信じることが出来るのは






無政府主義、アナキズムしかない
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# by c7 | 2015-02-11 19:29 | プロフィール

父と革命とわたし~2






先立って、チェ・ゲバラについて。


アルゼンチン生まれの彼は
広くキューバ革命の立役者として知られていると思う




革命戦士の名において、真のアメリカ主義を打ち上げ
いわゆるアメリカ合衆国の圧政搾取から、全アメリカ大陸を救おうと奮闘した





終焉の地、ボリビアで捕縛され
壮絶な拷問の後、最後の処刑に際しても


眉根一つ動かさなかった伝説もあり



鋼鉄の意思の持ち主とも思われているかもしれない





また一方で、
そもそもチェ、の愛称は



“やあ”とか、“よう”


のあいさつの事で
つまりチェ・ゲバラとなれば、
ややコミカルな印象でもある、気さくなと言うか。



著作名言も数多残したが、


随筆の表現は軽妙なものも多い、またシニカルなジョークも真骨頂と言える
時にアメリカへの憎しみからか少々ねじれた発言もあるが
大抵は洒脱な人間だったと思う。
また、あまり知られていないが
愛する妻に戦地からも沢山の詩を書き、送っていたらしい




彼の主義の発露は、
映画にもなっているが、南アメリカ大陸をオートバイで旅した時に
南米諸国のあまりの惨状に瞠目し、
その元凶はアメリカ合衆国の搾取にあると思うに至るからで



つまるところはアメリカ合衆国に敵対すること



貧困や苦しい病の人間たちを国家として救おうとしたということ

その過程、アメリカと冷戦下にあったソビエト連邦の社会主義とも迎合していく

今現在、ほんのわずかな社会主義国が残ってはいるが
大抵は破綻した。
北朝鮮であれば一握りの上層部が国民を囚人のように監視しているようでもある、し



ベトナムなどは資本主義化することで国益を上げている。

そんな社会主義もかつては国民すべての平和安定を目指して、
民衆も支持していた時期もあったろう。

チェ、は諸国を勢力的に巡り、
卓越したスピーチで民衆を虜にしていく


何しろ自ら密林の中でゲリラ戦の陣頭指揮をとる人間だ、




税金で私物を買い漁るクソのような大臣などとは比べようもない





チェ、は
毛沢東の表敬訪問に中国を訪れている





その時はお互いを認め、握手をしたものだが
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残念ながら
その後、キューバと中国は激しく対立し


カストロは一党独裁の中国共産党を“強盗“呼ばわりした



リベラルを標榜する人の中には
毛沢東とゲバラを並び評価する者もいるかも知れないが
二人の人間の足跡を細かに調べたわけではないとは言え



毛沢東はあくまで政治家



に対して、ゲバラはやはり生来の戦士だったと思う

そこは決定的に違うだろう




また、毛沢東と言う人物についてはその功罪をよく知る者でもないし
敢えて知ろうとはしてこなかった
我が家のような家庭の中では特別な存在だとしても
世の中からは違う声も聞こえた、
独裁者で差別主義だとか・・・
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# by c7 | 2015-02-08 06:00 | プロフィール

父と革命とわたし~3





また、父は、組織の関係上
国交回復前の中国とも繋がりがあった

母はロシアンティーを嗜み、
また、家にはハバナクラブなどと言う、
キューバンラムのボトルが並ぶ時期もあった





後日談でしかないが、

父は国交正常化の前に中国を訪れている
使節団の一員として参加したらしい




父は、言えば大仰なタイプの人間だったので
針小棒大な傾向もあり、
誇大な表現をすることも多々あったようで
すべてを信じるかとも言えない。




本人は、
その訪中の際に





毛沢東と握手をしたと言っていた





毛大人の手は、とても柔らかかったと感想を述べた

実際は謁見した程度に過ぎないかも知れないし、
聴衆の一員として壇上の毛沢東を見ただけかも知れない。

ただ、少々ロマンチックに過ぎるかもしれないけれど
僕はその父の話を、信じようと思ったし、
だとすればその手はひいてはチェ・ゲバラと握手した手を握った手となり

その手で、小さいころ抱き上げて貰ったこともあるとすれば
チェ・と言う男の生涯にもまた、ロマンチックに思いを馳せてみたりする





繰り返すけど家での父はほとんど激昂するでもなく、優しさに溢れて見えるでもなく
凡庸に料理を好むような男であったし、
反面仕事として属していた政治団体は、
30年も前は、不穏で不吉な物音もしていた

そんなわけで子供の頃、ひいては今までも父との距離は
あまり近くは無かった、

が。

その死に際し、
自分にも、そして父にも少し腑に落ちた点があった


親父はその人なりに、信じて生きて、
異端ではみ出してもその人であるということに変わりはないし

一方の自分は、はみ出して逆らっても
その男の血を分けられた実の息子
でしかないということ。


いずれ観念はまた変化していくとして



今は父と、思想と、



遺伝子とか血脈とかに少し、決着をつけられた感でいる
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# by c7 | 2015-02-07 20:08 | プロフィール