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さようならニコ ありがとうニコ いつまでも



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2014 09/29
ニコが永眠いたしました。

八年前、まだ結婚一年目だった私たち夫婦の、時に衝突する若い時代にニコはやってきてくれて、小さな緩衝材となり、かすがいとなり、そうして家族の輪の中心となってなくてはならない存在だった。娘よりも一年早くこの家に迎え、晩年では長女とも呼び、自由な一人っ子の美乃里の、時に辛抱強い遊び相手だった。子猫の時分は好奇心旺盛でいたずらもされた、気の小さいくせに家族以外の人間には容赦なく威嚇し、少々躾のなってないネコでもあった。マンションに住む生活でベランダにも出さなかったし、人間が食べるものに興味を示しても、健康のためと出来るだけ我慢させた。ほかの猫と触れ合ったこともないし、子供を産むこともなかった。動物虐待の記事を読むたび、ペットと言う存在自体も動物にとって本来の幸せにそぐっているのか考えてみた。それでも敢えて家になつき、厳しい生存競争もなく人間の家族として生きれるのなら、それも幸せだと思った、僕らはそのコンパニオンアニマルから純粋な生、についてよほどのことを授けて貰う。愛玩動物なんて無関係だという人間になんと言われようと、私たちはニコを家族として、パートナーとして生きとし生きてきた。そのニコを失って、正直、今ほど涙が出たことはない。

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思い出は多すぎて、飾った写真、収められた写真どれをとってもその日の甦る記録で、ある日突然それを奪われてしまったような気がしている。写真家、藤原新也の言葉に”死はなし崩しに訪れるのではない、ある瞬間に突然襲ってくるものなのだ“の意味が、今はよくわかる。病に侵されていたニコの、体重は少しずつ減り、威勢のいい威嚇もしなくなった、声も日増しに小さくなり、段々とその日が近づいてくるような気もしていた。それなのにやはり死はあっけなく、突然来たとしか思えなかった、それに、端からその心の準備をするつもりがなかった、備えあれば憂いあり、これは僕の細やかな信条だからだ。想像することはそれを起こすことになる、だから不幸なイメージは最初から持たないのだ。そんな思惑などあざけるように、あっさりニコは逝ってしまった。だからこそ今は、ニコは永遠の眠りについたのだと思いたい、死も病も関係はない。ニコは天命尽きて後は眠るだけだと信じている。私たちは、動物を飼う、その時点ですでに多くを知らなければならない、ほとんどの生き物、とりわけペットというのは、人間よりはるかに短命であるし、罹る特有の病気も多い。私たちはその死を看取ることを前提に動物と暮らさなければならない。ペットを失った一部の人は、その死のいたたまれなさが辛いと言う。しかし、暮らす時からそれは分かってはいるのだ、けれどその愛おしさに、死に際して耐え難いのだと思う。けれど、私たちは責任があると思う。自分たちの愛玩動物として生き物を閉じ込めたこと、好むと好まざるに係らず食事を決定したこと、人間に歯向かわないように躾けたこと、それでもその生き物たちが私たちと暮らすことで喜んでくれたのなら、それは彼ら彼女らが与えてくれた最大の贈り物だと思う。それを愛だといまは言いたい。だとすれば、死はさようならであるかもしれないし、また、契約期間の満了と言えるかもしれない。私たちは勝手に同居を強いたペットたちの死を看取り、感謝し送り出す立場でなければと思う。

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先日恣意的に犬の十戒をアップした。そこにはここで駄文を披露しているよりはるかに示唆に富んだ記述があり、そして最後の一文に死の時を見守ってくれとある。
いま私たちの猫はその死の後の静かな姿で、動かずに横たわっている。それを見るたび、情けないほど涙が溢れ止まらない。そしてそれを動物たちは物言わず審判を下しているように思える、最後まで面倒見てくれましたか、と。。動物を愛する人たちが、ある種人嫌いのように語られることもあるけれど、それはやっぱり別の事だと思う。人間こその世界で生きているのは承知の上で、言葉の通じ合わない動物にまた違った愛を感じるとこもあるのだ、自分のペットという存在が特別になるのはもはや理だと、今ようやく思う。

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いつか薄れ、忘れてしまうかもしれない悲しみが確かにあることを、風化させてしまいたくない
そんな思いで、これを書きました。


ニコ、今までありがとう、そして心安らかに眠ってくれることを祈っています



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最後にニコが来た日のブログを添えて
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by c7 | 2014-09-30 20:50 | niko

20140915大雲取谷~ 紆余曲折



ネイチャリスト
と言うのを肯定的な存在として捉えるならば

まさにその昔に山を仕込んだともいえる“トシボンヌ”
はその域に達しつつあると思う

沢では常にリードを進み、
無情にもロープは出してくれないが、
その踏み跡は追従者には心強い存在だ

今回の計画前日トシボンヌが
風邪をこじらせて、と、
近頃の女子のようなことを言いだし、
参加が不可能となり、協議の結果、
ユーキとタンデムでと言うことになった


目指す大雲取谷は、云わば初級のコースで
ビギナーの域の二人でもやすやす通過かと思言われた、が



初手から厄介な滝を巻いて、そして下降から始まるルート

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沢相に激しさはないが、釡の上が滝、と言う箇所も多く
必然巻の選択肢になるのだが、
これも結構足場が緩んで悪く、かなり神経を使った。

個人的には朽木の踏み抜きで大腿部打撲、で、どぼん
つるを利用してターザン風に降りようかと思ったらつるが切れて
どぼん。
など体温を結構冷やす初日となった

まあそれもたき火をガシガシ燃やし
夜は暖を取ればいい、との思いもあって良しとしたのだが


天気は晴れだったものの
倒木がのきなみ濡れ木で、
着火剤も歯が立たず、ついに沢遡行初めての
焚火断念の夜となり
もともとテントもタープも省略しての入渓だったので
まさにフライに包まってのビバーク、
冷える体より、火の無い寂しさが胸を打った。

翌日は気を取り直し
わずかな食料のみで、源頭を目指す、
足の打撲のダメージも結構あるが、
それどころではない、
この沢で最高落差の8mの滝があらわれ
これは左すぐ脇の弱そうな所をを登るしか選択肢はない

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弱気になりそうになるけど
絶対ここを上がる!と鼓舞し、
先行はユーキに任せて後を登る、
実際そういう時はもう足の痛みとか感じない

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大体の人生は慣れと気合いだと思っているので
さっさと通過、
顔だってふざける余裕もあるってもんです

これで少しの達成感も増し、
あとは源頭を目指し、

頃合いを見て、都合の好さそうな尾根を詰める
ま、この尾根もなかなか手強くて、
獣道に誘われついトラバース気味になり
時々の方向修正などしながら、
ついに、ようやく一般登山道と出合。
この時の到達感と安ど感はまた中毒性があるんですよね


前夜からのすきっ腹で
雲取山荘を訪ねれば

”カップヌードルシーフード、しかないから
400円払って外で食え”

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と、少々つれない感じ、
しかしやっとの温かい食事には素直に感謝でもある


あとは下山なのだが、
よく考えてみると
東京都最高峰の山から下山なので
しっかり一般登山の下山並みに長い、
それ自体はハード、ってことはないんだけど
沢の緊張の後では、正直その行程にやや泣きが入った








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僕らはある種の中毒者で
人が一笑に付すようなことに血道をあげているのかもしれない

しかしきっと体中痛み切って帰るのだとしても
やっぱりまた沢に入り、
また山に登り、高みめざし
それらによってエクスタシーとカタルシスを得るのだと思う


消化不良もありながらも
やっぱり今回もいい旅だった。
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by c7 | 2014-09-16 12:50 | 山歩き

銀座inzジャポネ ~ そこに麺があるからだ。が






、、激しいニンニク臭は家庭の乱れになる
家庭の乱れは国家の乱れ
国家の乱れは宇宙の乱れ

と、二郎の社訓を引用しつつもそれも反して
我が家はにんにくを拒否する動きである

渓に向け、ウェイトも絞らねばと炭水化物を節制しているものの
時にガス抜きをしたいと思うこともあり、
しかし
二郎では国家の乱れ

そこで最近の気になるキーワードの
ロメスパ、てなんでしょう?
と調べたら有楽町というか銀座inzに
その手のスパゲティー屋があるとのことで、
早い帰宅の際、
寄ってみました。
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ここには
普通盛り、大盛り(ジャンボ)横綱
とサイズがあり、
横綱を完食したら
親方という裏メニュー
親方を完食したら
理事長という裏メニューに辿り着くシステムらしい


この晩はまず控えめにジャンボで。。。

待つ間の、二郎の時のような
少しだけの緊張感と期待、と恐怖感。

思えばラーメン二郎の中毒性というのも
この辺りに要因があるかもしれない

言い知れない感覚で待ったよ10分少々、

現れたスパゲティーを見て
、なんとなく拍子抜け。

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それほどの達成感もなく完食。。。

ちなみにテーブル調味料に
巨大なタバスコとパルメザンチーズ
(パルメッジァーノではない)

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があり、これは重宝だが、
だがしかし
はっきり言えば、
これ家で作れますね。というくらいの味
むしろ甘いし、小松菜も特にいらないし
ナポリタンというよりは
ケチャップゲティー


二郎って家で再現するのは結構大変だし、
しかも二郎以上の味にするハードルはヒマラヤほど高い

それに比べるとこのスパゲティーは
安易に家庭で再生可能

であれば量が1kgであろうが、2kgであろうが
いくらでも対面することができて、
二郎のように恐怖心に往復ビンタくらって、それを克服する
まさに山と同一の絶頂感を味わうのは不可能だ。


ま、大盛りハンターみたいな人もネットでは散見するけど
おれはそうじゃないな




二郎を食う恍惚とは比べるべくもない
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by c7 | 2014-09-10 19:00 | 外食

還るべき場所 笹本 稜平 ~じつは逝きそう




さてそれでは
最近は山に行かなくても
山を想っただけで
ファーっとかなる境地まで達しつつある
ので

読書も然りと言うことで
山岳小説
“還るべき場所”
著 笹本 稜平

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舞台は現状でやはり8000M峰の王者
K2

しかし本書はゴッドウィンオースチン氷河をはさんだ
ブロードピークの公募登山を介して物語が進行していく

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出版順で言うなら本作のほうが
映画化された”春を背負って“
よりも数年前に刊行されている、

が、心温まる春を背負っての青春っぷりとはまた対照的に
本書では激しくも超高所登山、初ルート登攀などの
トップクライマーたちがしのぎを削る荒々しさが
幾度となく語られる
ヒマラヤ、カラコルム山脈、ヨーロッパ三大北壁
厳冬期のマッキンリーなどが随想され
高い山に思いを馳せる身としても
妙にうっとりとされられる、とともに
60を過ぎた富豪が次第に登山の魔力に魅せられ
今まで自分の築いてきた財産や地位よりも
この瞬間に最大限の生を感じる、と言わしめ
マロリーがかつて発した
”そこに山があるから“という言葉は
回答不能な問いに対しての体のいいジョークのようなもので
登山者は皆この言葉では表せない深遠な高み、些かに矛盾をはらんだ
情熱を、注ぐしかなく注いでいる、など

登山がなんであるか、斬新にそして重厚に表現している


もちろん
現実の山登りというのは里山登りから、夏、沢、厳冬期、
キャンプとしての登山、など
多様なものだし、
誰しもがヒマラヤ等のトップクライマーと同じように捉えている分けでは無い


それでも
山に登ることに熱を上げた人間は
一度はこう感じたと思う
つまり、登山とは凝縮された一生で、
濃密に生きた、と実感し、
振り返った時に見える道はまさに
自分が生きてきた道のように見える





下界では、奸計などあり、
不穏な会社乗っ取り劇、産業に身を捧げた
周りを囲む男たちなども織り交ぜながら
それでも本作で大団円となるのは
主人公と、
K2で生き別れになった最愛のパートナーの
死を超えた出会い
そこでこの青年の自浄が完結する



これを以ってやはり笹本良平氏は
死別を乗り越えた男女の愛を求道していると
想像に難くない
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by c7 | 2014-09-04 12:35