カテゴリ:愛読愛聴( 53 )

英雄セシル ~ トロフィーハンティングの闇

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先日、
友人の味岡君がシェアしていたポストを見させてもらって
これを、
まず自分の事もそうだけど
ムスメがどういう風にとらえるか、もうそう言う事に対して
自分なりの裁定とか想像力を持てるようになっているかも気になり、
今回はごく個人の家庭内でのことではあるんだけども。


我が家は娘が誕生する前から猫を飼っていて
今も代替わりして、二匹の猫がいる。
子供にとっては、生まれてこの方、ほとんどずっと猫と生活していることになり
年齢が上がるにつれ
動物全般への愛情、ひいてはネコ科の動物への特別な愛情を持つようになった
それは嫁の猫恭子(と言うニックネームくらいだし)についても同様で、
私個人のSNSなどを少々見ておられる人ならば
ライオンや白虎へのフィーディングを嬉々として楽しんでいる
二人の動画も記憶にあるかもしれない。

詳細は転記します
このライオンの残虐なスポーツハンティングの実態を寝耳に水のように
知るに当たり、
怒りと言うよりも人間の闇と言うか気味の悪い習性に結構落胆した。



若いころはヘミングウェイを読んだりもし、
生きる為とは無縁のハンティングを楽しむ人も少なくないことは
知っていると言えば知っていた。
ただ、なんとなくそれって戦後間もないくらいの間までの事かとも思っていた

欧米人には狩猟民族だった時代の、汚れた残滓みたいなものもあるのかもしれない
食べるためになら鹿やイノシシやクジラを撃ってもいいのか、の問いに100%は受け答えられない
ひいては養殖なら放牧なら豚も牛もいいのかって言われれば、
やっぱり胸を張って I love tonkatsu! とも言えないが、

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でも、この事件や
潜在的にいる沢山のゲームハンターや、
外貨目的でライセンスを与えてしまうアフリカの国や、
それらは動物虐待とか単純な害よりも根深く絡んでいる気がする。


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ある程度は希望があるのも、アメリカ内でもこの歯科医は相当数の非難を受けているし
国際的にも問題視されている、

金 金 金
金さえあれば、なんでも殺せる
金欲しさに、自国の動物の命も好きにさせる。

金 金、そういうのを終わりにしないと、
非難ばかりしても、法が整ってないので
罪にはならない、
そして罪に問われさえしなければ人がなんと言おうと関係ない
となれば、
結局新しいハンターがまたライオンや、チーターやクマを
遊びで殺してトロフィー(記念品)として首を切断して自国に持ち帰る。

残酷な記事であったけど、
小学3年生の娘に読んでもらった

激おこでした、そらもっとも。ネコ科の動物が大好きで、
自分の姉のとさえ愛した猫が死んだ時は何日も泣き続けた彼女にとって
遊びでライオンを殺すなんて、
到底理解出来ないだろう

そこから一歩進んで、こういう人たちがいることを理解して
それを封じるのに社会はどう選択して変換していけばいいのか
考えてほしいと思う。

勿論今回のセシルの件について
なにか具体的なアクションをしなくてもそれはいいので、
いつか
なにかが起きている時に
対抗手段を想像できる子になってくれれば、と、そんな思いでした・



最後に言うけど、おれも激おこです

セシルに正義を、そして狩猟ライセンス発給停止を求める署名、ジンバブエに対して参加しました
署名

c7
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by c7 | 2015-08-14 12:28 | 愛読愛聴

古事記 ~ 神無き国の神読書




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先日他界した父の名のもとに
神も況や宗教も信じていないが、為に、
諧謔的に読んでみようと思い、
また、
池澤夏樹は、故星野道夫とも懇意であったし、
その写真家の文章を高く評価した人物であり、
北海道生まれで現在は沖縄に居を移した、と言うあたりも
無視できない人物ではあるので。



古事記と言うのはむかしむかしの日本の本、
程度にしか見識は無いが、
ざっくり言えば天皇家の歴史物語の体で
太安万侶となる人物が編纂したと言われる
口述伝文の、書籍化となろう


当時の天皇に無理やり頼まれて
いやいややったのではと邪推も含めつつ
読むのだが

まず冒頭に
池澤夏樹があろうことか太安万侶に対し二人称で
手紙を書き始め、(つまり”やすまろさま、私は池澤と言います”、云々、みたいな)

これは、
あまりにもだらしない。

文章家を標榜するなら決してしないんではないかと
訝しい。

故人で読むことが絶対ない人に手紙の体裁の文章を
書くとか、
おセンチ、メルヒュン以外の何物でもない、
と、のっけから読む気なくなったが乗りかかった船なので
読んでみた、が、
とにかく神様の名前が
膨大に出てきて
正直鬱陶しい

物語もあるにはあるが、
ほとんどが名前の羅列と言ってよく。

ただ一点、地名、言葉の由来など
その点については薀蓄として面白かったかもしれない


例えば罠、と言うのは
そもそも縄から作ったので、わな
とか。


言葉の持つ妙味みたいなものに
いちいち嬌声を上げている自分も小さいなと思いつつ

しかし、語源、語法の変遷など、
興味深くはある



ゲンを担ぐのゲンは縁起が語源
あたらしいと、あらたに。は同じ言葉
だらしない、は、しだらでないの変化、ふしだらの類義語

ばーそーくいたちでルービーぱいいち
なんていう言葉も
案外その用法の起源は古い。

そういった事で言えば
なかなかに面白い本だったけれど






特にお勧めはしない。
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by c7 | 2015-04-02 12:35 | 愛読愛聴

田中森一 ~ 性善説性悪説







つい先日、その生涯の幕を閉じた
バブル時代を駆け抜けた闇の紳士達の守護神。

の名目で出された本を読んだ、
著者田中森一。
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何故読んでみようと思ったか覚束ない、
もとより経済にも経済犯罪にもそれほど興味はないのだし、

一点、汚れ者、落伍者と言う符号なら自分も持ち合わせている
これを探るに足る本なら読後感もまたあるだろうと思った。

が。



この著者の、元特捜検事そして弁護士の後、
詐欺事件(冤罪を主張)で4年超の実刑判決、服役を経た
波乱万丈の人生は
長崎の貧しい漁村から始まる。

逆境をばねに、苦学し、夜学に通い、学んで立派な人間になりたいと願う。
また、その息子を送り出す漁師の父親の描写には
正直目頭を熱くし、歯を食いしばって読むような思いもさせられた、
ものの、

田中青年がやっとの思いで岡山大学に入学して直後から、
すぐにもその危険で粗野な正体が晒け出されてしまう

齢60を過ぎて著したこの本は確かに淀みなく、
一見整然とし、田中森一と言う人間を正確に現しているようだが、
どうしてもきな臭さを禁じ得ない


人間は、強くもあれば弱さもあり、
人情にもろいと言いながら、冷酷に他人を処断する
カネに清廉な時もあれば、武者ぶりつくほど浅ましい時もある

その時々をこの人は自分の都合の良いように表現しているように見えた。

法曹界の意義はドブさらい、盗人にも三分の理
と気骨を露わにするが、
特捜検事時代には大層権力を笠に着た風に思えるし、
大物ヤメ検として弁護士に転身してからは
汚い真似はしていないというものの
成金さながら、昔の貧しさの反動のように金にまみれる


ヤクザは必要悪、法律を守るだけが人間ではない、
と公言しながら、しかし“正義”を声高に語り、論語に心酔する。

ちなみに僕が与する老子の道徳経(タオツーチィー)
と孔子の論語は決定的に違う、根本が違う。
儒教として日本でも論語は長く広く支持されているが、
個人的にはタオにこそ隠された処世訓があると信じて止まない

愛すべき酔っ払い詩人ヘンリー・ブコウスキーの詩の一片を借りるならば
”つまりは平和を説く者が一番平和から遠い、愛を説く奴には愛が無い
正義と言う奴が、実は最も世界を不平等なものにしている“


田中森一が悪人であるかは問題でないが
彼自身が自身のちり芥を知り、その上で論語を隠れ蓑にしていたと自覚していたなら、
これは
重罪だと思う。


人間は悪でもあるし善人でもある。
それでもいいし、それはどちらでもいい。
ただし
悪人であれ、文章を残すならば潔くなければならない。
欲得で自分を美化するのは恥ずべきことだ
その罪を、この人は犯したのかもしれない
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by c7 | 2014-12-08 21:20 | 愛読愛聴

路地のあかり ~ 悪童追想

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それでは、友人がデザインした本、
路地のあかり ですが

言わばエッセイの部類で、
著者の体験から様々なエピソードが披露されている
飾り気のないさりとて、淡々ととも言えない
優しい表現でたくましく語り上げている

僕は見ていないがこの本を書いた松崎さんと言うのは
映画“学校”の原作の著者で西田敏行が扮した先生役のモデルとなった人であるらしい

太平洋戦争終戦の年、満州で生まれ、続々と幼子の死んでいく中、
生き残り、家族と長崎に引き上げる、
原爆の傷跡の中で貧しくも諦めず真っ直ぐに生きていく少年時代
いつからか志した教諭の道、
そして東京下町で長く夜間中学の先生として種々の生徒たちと接した時間、

夜間中学の生徒達も時代とともに推移していく
貧しく親の仕事の手伝いで学校に行けなかった勤労少年から
一時期は外国人の労働者が増加し、
また昨今では引きこもり、問題行動を起こし一般の中間中学を追い出された者たち
これらに対しての著者の先生としてのユーモア深い接し方ももちろん胸を打つけれども、


何よりも響くのは
自分の少年時代と、それを重ねて見る瞬間だろう


僕自身は戦後の混乱も知らないし、貧困であったとは言いきれない

それでも毎夜母親の迎えを待って帰った夜道
東京郊外の、草っ原の多く残る、町の安普請な団地住まい
預けられた保育園での革新的、言い方を変えれば破天荒な生活ぶり、
政治に加担し情熱を注いだ父に対し、収入や仕事の多くを担い、
それでも子育てを地域で作り上げた母親、
その地域そしてコミュニティーに似たような環境の、
雑草のような育ちの同年代の子供、そして各々の親がおり、
取り巻いたその一時代は、わけもなく“路地のあかり”に何かが触れた

そういうわけで、僕自身が憧れさえ時に持っても
結局金満の富裕層の態度と言うのは鼻持ちならない、

体中に絵具を塗って教室を駆け回り、
机に立って立小便し、
先生に、親に、外で立たされたようなガキが
気の利いたエスコートなぞ、知る由もないが、
そういう出自を一切恥じていないし、
その幼年時代が“おしいれのぼうけん”と言う本に模られて
今も記憶されている事に、
むしろ胸を張りたい。


今回の本は
それを後押しさえする本でした。



おしいれのぼうけんの
ピエール瀧とスチャダラ兄の仕組んだ
謎掛け的な顛末はこちらで。
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by c7 | 2014-10-25 16:26 | 愛読愛聴

読書 ~ 春を背負って





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6月、
転職のはざ間の有給消化中
のんびりとひとりがらがらの映画館で
富山県警山岳警備隊に敬意を込めて涙した
“春を背負って”

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の原作が、舞台は実は後立山連峰ではなく、
奥秩父、しかも彼の日、トシボンヌとピロ子ちゃんと遡上した
釡の沢西俣、の尾根向こうの架空の山小屋とのことで
なんだか興味をそそられて読んでみた

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映画との共通の設定もあれば、違いもあって
作風は娯楽小説の部類となり文体もやや青臭くあるが
登場人物に共通する、競わず急かず、
分相応こそ幸せの証し、と匂わす生き方は、
なんとなく去年熱を上げた老子の道徳経めいた共通項を感じた。

経済社会でドロップアウト、と呼ぶものを
老子はきっと誉めるんじゃないかなと思いもする


タイトルの春を背負って、は、映画を見ても今一つピンとはこないが
この本を読むと
それは小屋開けの早春、重い荷物を歩荷で担ぎ上げ、
その歩いた距離こそ宝だとつぶやく初老のゴロさんと
主人公の魂の邂逅なのだと得心する

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そしてまた
なんとも引っかかるのが、
映画のストーリーとは全く別に、
6つか7つのエピソードが山小屋を舞台に
オムニバス的に語られる原作の、
そのほとんど全てに夫婦の死別、あるいは離別が盛り込まれ、
残された男ないし女にどのような愛が現れるかが繰り返し語られる

そもそも主人公の亨成年が父を亡くし、山小屋を継いで主人となる設定
彼のまだ生きている母と、生前の父の心の交流みたいなものが
箇所箇所にばら撒かれてもいる

こういうのは著者の執念というか執着というか。
羊たちの沈黙の言葉を借りるなら
その人の渇望、だろうか


ちなみに
笹本稜平の渾身のと思われる山岳小説
“還るべき場所”も続けて読んでみたが、
これも主人公がK2で最愛のパートナーを失う場面からスタートし
その女性の死を克服していく心の変遷がサブテーマになっている
自分が逝ってしまった後の妻、
ないし自分がかみさんを失った後、
何を想うだろうなんてことを思った

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少しネタバレの記事になったし
続けて還るべき場所についても
読後感を綴りたい


C7
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by c7 | 2014-08-09 12:48 | 愛読愛聴

超高所登山とは、~ 竹内洋岳氏




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時の経つのは、早いもので、
それも年齢によるものだろうけど
話題になった8000m峰の14サミットを日本人で初めて達成した
竹内洋岳の最終山行、ダウラギリの登頂もはや、一昨年のことだった。

その竹内氏のインタビュー本を読み終え、
そうであろうかと思ったこともあり、
つらつらと雑感を書こうかと。



まず超高所登山をやろうとするなら、気のいい人、では
成り立たないのかもしれないと言うこと。


古いドイツオーストリアのパートナーとの山行以降、
高所登山普及に目覚め、一般から同行者を公募するも、
カメラマンの中島氏などもその憂き目にあうが、
最後は体力を見透かされ、登頂断念、待機を命ぜられる

自身も登頂を諦めて撤退した際に
下山後ベースキャンプで他人に当たり散らし、蹴りを入れたなどのシーンの描写もある。


自分自身が最高のコンディションで計画し、ギリギリのラインでの成功もあるわけだろうから、
明らかに能力に劣る同行者に対して、時に冷徹に対応するしかないのだろう

頑張って一緒に行こうよ、的なそれは8000mの高みでは存在していない。


そしてこれは著者の塩野が巻末で書いているけれど
竹内洋岳は圧倒的に個で存在しているのだ

人の助力で登山が成り立っていることは承知なものの
最後のプッシュを進めるか、止めるかは
アドバイスなどほとんど顧みず、自分の判断だけが、唯一自分を押し上げるのだと断定さえしている
人が登れるかどうかは参考にならない、問題は自分が登れるかだ

そういう決断の上で行動している、


私などここのところの転職で協調性なども気にし、いわんや人の評判さえも思ってしまうひ弱さ。
かの人の絶対的な個、に憧れても届きもしない。

がしかし、
山に行くことで敢えてその個に向き合えるように感じることもあるのは事実
前人未到ではないけど、滝を責めるとき、
積雪期の急登を乗り切るとき、

自分にも人には任せられない、個が生まれるような感じがする
そしてそれは低地生活にも、大いに役立つと思っている。
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by c7 | 2014-07-17 12:19 | 愛読愛聴

この夏の唄2013 ~朝崎郁恵



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近頃は加島祥造からのタオについての
目覚めと知恵熱で、その派生から読み続けた刊行物も二桁に登るが、
その加島祥造が、晩晴館と呼ぶ現在の居所はと言うと
長野県の伊那谷に有るのは皆さんも御存じのところだろう。
西に御嶽、日本アルプス、東には千丈岳を擁する南アルプス北部
類い稀な大渓谷そして、
近く分杭峠は風水師もびっくりの日本列島構造線上の超エナジースポットと言う、

この伊那谷に、憧れない、わけがない。
森と山への深い憧憬に更に磨きも掛かると言うもんだが。




しかし、その昔島唄(ブームのでは無い)に出会ってからの
南西諸島に対する愛着も俄然根強い。
海への無関心などもとより無いし
東京近郊ではなかなか親近感は乏しいが、
イタリアベトナムタイと旅した時分はいつも海岸線沿いだった


喜納昌吉&チャンプルーズ(ブームとは何の関係も無い)
が”花”を世に出して二十数年。
そこから有象無象の花を冠したタイトルの歌が数多発表されているが
この喜納昌吉のオリジナリティーとか、真に迫った感じには
比べる位置にも無い


沖縄や南西諸島を祖先に持つミュージシャンも目立つようになった、
COCCOさん UA然り、
元ちとせ、中孝介などもハッとさせられたが、


今回の朝崎郁恵を聞いた時の衝撃はこれも比では無い

晩夏の一コマだった一色海岸、その海の家BLUE MOONでの
ライブの告知で知った朝崎郁恵の文字は
演奏ジャンベなどと記してあり、これはちょっとどうかなっと思う。と言うのも
ジャンベ、或いはディジュリデューあたりの原始的な楽器は
ある場面でクラブシーンに重宝されてしまい、
薬でラリった若者たちのスピリチュアルなビジョンと言うやつが
自然回帰を映し出し、電子音楽はネイチャーの森に彷徨いこんだ。
当初としてはやっぱりジャミロクワイだろう
ディジュリデューと共に、アフリカのメディシンマンのモチーフが多用された。

薬師(くすし)など東洋のアーユル的な物も取り上げられ
クラブでは誰かがホーミーを唱える



そのかげに
少々のインチキくささと言うか、JKがやっぱりフェラーリ乗ってんじゃん!!みたいな
似非自然人みたいなものが見えて来た。

だから今どきジャンベとか言うと、どんなインチキネイチャー実はどっぷり都会人、
みたいなものかと勘繰ったわけだ。


ところが半信半疑でポチっとした朝崎郁恵の歌は、それこそたましい切れた。



奄美大島の島唄(ブームとは一切関係もない)の
ゴッドねえちゃん的な存在の彼女の歌の認知度は、残念ながら高くないが
その矜持や、伝統、そして引き継がれている世代層の広さなど
計り知れない徳之島のマグマのように思われる。


小ネタだが、インディー活動程度だった彼女、の唄を
J-WAVEに一発廻させたのがやっぱり的なあの人、細野晴臣
そして大河ドラマ篤姫のテーマ曲に詩を振ったのがUA
など、脇役もキワモノではある

敢えてなら近年わけわらんになってるUAに対し、
少しシンパシーを回復した次第、だが、
勿論、
その詩も朝崎郁恵の前ではどこか稚拙にも取れる


恥ずかしい主観だが、
僕は音楽とは若い人が作るものだと信望していた、
感覚の鋭さはやはり若さに分があり
三十代のロッカーなんてすでに聴きたくないし
もともと聴かないけどまだサザンとか
おさあんがやってるBZとか、
全く心理が分からないんだけども、

しかし朝崎郁恵の歌を繰り返し聞いて、
その境地に辿る彼女の生き様を想像すると、
若い人たちの島唄(そもそもブームは甲信越出身)
は能面のように表情の無いものに思えてさえくる

それだけ彼女の唄は物語性に富んでいる




今年の夏の逗子で知った1人の奄美のねえさんの伝統の唄は
二千十三年にして今も新しく長しえで深い
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by c7 | 2013-09-10 12:40 | 愛読愛聴

WEST COAST, ADDICTION,

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超5年経過のクソぼろPCでituneの設定をいじったせいか
このところ
同期したiphoneの音楽ブラウジング機能がおかしく
聴きたい曲の呼びだし、ソートが上手くいかないなか

こんな表示が出た。


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要は"GREATEST HITS"
の名のアルバムの曲が混同しているわけだが
これは実際感慨深かった。

そもそも、レッチリのそのベスト盤にしか入っていない
"FORTUNE FADED"
が聴きたくて探すも、アーティスト名からは検索できず、
アルバム名から探したら、まあちゃんとアルバムごとに並んでいるんだけど
再生し出すと、
SUBLIMEと互い違い。。。

この両者の符合というのはもうこれしかないだろ

西海岸、そしてヘロイン。



音楽の表現としては若干方向が違うし、
取り立てて交流があったようでも無い。

しかしRHCPが1991年、BLOOD SUGAR…で世に出した
"UNDER THE BRIDGE"




は、おそらくもジャンキーたちの鎮魂歌だったろう、し

この哀愁のある曲調とは、はっきりと違うものの
数年後サブライムがリリースした
"SANTERIA"




とは、イントロのギターのリフに奇妙な一致が見える。

これが西海岸なんだ、そしてヘロインなんだ、
と、聞こえた。


レッチリの"GREATEST HITS"も良作で、
近年の曲も多いが
それでも20年来の歴史からピックアップされている楽曲には自分の人生の思い出と重なる。

また一方、三枚しかアルバムも出していないサブライムの
"GREATEST HITS"
も、ものすごい凝縮感がある。
O.D.でおっ死んだ、ブラッドリー・ノエルのギャングスターのように生きてきた厚みみたいなものは
任侠道めいたものも思わせる


冒頭に戻るが
ベスト盤にのみ収録された"FORTUNE FADED"は
ジョンの再加入後、不満の多かったフリーとの
唯一の蜜月のようにも聞こえる。
久し振りの弩ファンクなベース音と
ハードコアジャンキーを経たジョンの哀しいギターが
それでも20年前を彷彿とさせる。







80年代後半、LAは憧れだった、
音楽の聖地
パラダイス、快楽
そこからヘロインは皆を一気に奈落の底に落とす、
フリーベース、コカインと併用で一気に危険度を増す。


そんなところに住みたかった自分はまだまだ若かっただけだと今思うけれど、

あの頃は忘れない。

そんな気持ちのせいで、いつまでもこういう音楽から離れられないんだろうか

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by c7 | 2012-12-07 20:50 | 愛読愛聴

これはこれはこれは ~ 人生の師匠2人


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ウイリアム・バロウズの名はその奇怪な小説群とはまた別に
レッドホットチリペッパーズを二度脱退した
ジョン・フルシァンテが尊敬の念を大々的に表したり
実在のジャンキーが獄中で書いた小説、
ドラッグストアカウボーイの映画化に出演し

”ウェールウェールウェール、、、ディローーディッド”
の、名セリフ、で
ご存じの向きの方が多いかもしれない。

この赤のジャンキーの
”おかま”や、麻薬書簡、裸のランチ
トルネードアレイ
ウエスタン3部作など、
ちょっとした状態で無いとよく分からないかも知れないが

バロウズ本人も勿論ちょっとした状態になっていた人ではあるが
それだけで語るものでもないだろう。

裕福な子息でハーバードの出、
国際的な放浪を続けながらどこでも奇抜に生き長らえ、
そして終生、宗教や政治に一切騙されることが無かった人

その辺は断固として、過激派に近い思想かもしれない。


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そして、
この翻訳を専ら担当する
山形浩生と言う人が
もの凄過ぎて
個人的にはだけど
カトリック信者がヨハネパウロ語ってしまうくらい
僕には恐れ多くて、
この人物を説明できないので
興味のある人はネットなど調べてみて貰いたい。

ある意味バロウズさえ跪く傍若無人の論客、とだけ言っておく。
この人にかかってはグリンピースも自然保護も博愛も
みなみっともない幼稚な恥晒しなだけ。


で、
このバロウズの言わば最終稿。
相変わらずフラッシュバックしていて、
凡庸な僕には、イメージできる瞬間と、まったく分からないほとんどの時間と。
で、読んでみた。

哀愁と言うか、死の世界がもうすぐ来る人、の予兆めいた感じはした
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by c7 | 2011-11-11 19:30 | 愛読愛聴

Talk About ~ ミシカに寄せて









先日の沢の中では、
ネイチャリストについて、しばらく思案した
自然と関わり、敬意を表すると言うのは、どう言った事なんだろうか
自然に敬意を払って、山で焚き火なんて出来るものか?
猿の取り分の木の実を食っていいわけも無いだろう、
フェルトの靴で歩き散らかす川の中の岩魚はどんな気持ちだろう。

ライチョウは逃げて、人はバカみたいにテントを張って、
それでネイチャリストは自然が大好き!、みたいな記事には呆れてものが言えない。
大局的に言うなら、ただの人間嫌いでしかないのかもだ。


世界遺産の功罪は常に考えさせられる、
そんなもんのおかげで、
神秘の森も海岸も人跡に汚れ、木は死に鳥は絶え
そして石には落書き。

はっきり言えば、世界遺産なんかしないでくれていい。
観光収益を望む人以外は。






土地を汚すに違いない世界遺産なら、





いっそミシカに捧げてはどうだろう。


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この4thアルバムは、正直前作の”ABOVE THE BONES”
程は衝撃では無い。

もうここに、白人の謳うレゲエも、
白いボブマーリーの異名も、あまり響いては来なくなった。
卑下して言えば凡庸なフォーク風にも聞こえるが、
でも、ミシカがミシカにしかならなくなった様な気もした。
彼自身が大地に伏せて、地球を両手に抱いて彼女とのように寄り添ってる姿も浮かぶ。

ウェストコーストも、カリブ海も
島も山も全部この星です。
そんな語りかけにも聞こえ、
一方で人も愛し、女性に恋を唄う人柄さえ想う。

この人に世界遺産をあげて、世界で歌って貰いたい。




波や大地を歌う音楽を、だけど今の時代、
誰もがドープ化されたシリコンウェハーに記録されたデジタル信号を
コンピューターかデータ再生機で聞いている、
なんか背反してるように思いながらそれも自然の姿には違いない
ネイチャリストの名の元に生きるのは、何も息する事さえ悪事では無いだろう。
出来る限り人間以外のもの、人間が作り出した以外、の物を保全しようとする事が
つまりネイチャリストなら、それはあまりにも高い壁だが
人間の命を守るように生きるのも自然なこととしたら、
それは
自然の中で体感し、性急に行わず
人間同士が生きることで叶うかもしれない。

そうすると、にわかに世界遺産の意味も姿を変えて見えてくる。

東京シティーの巨大画面も、
酒場の裏のソープ嬢のアパートも、

ガレリアと同じく、人間の世界の、遺産だろう
大袈裟なのは承知だ。


ひいき目に考え大目に見ても
現実自分がネイチャリストだと公言するつもりは更々ないが、

肩の力がすっと抜けて、邪気の無い目で生きる人もいて、
それなら自然派とは言うのかも。
ミシカを見て、またそんな気もした。
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by c7 | 2011-10-21 21:26 | 愛読愛聴