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2009年9月北アルプス表銀座デイ3 輝け俺。bymcAT


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まずやり頂上の日の出








この回、少々浮かれてつらつら書くことを斟酌頂きたい、
この山に来て感じた感無量がこの三日目までの出会い、
そしてその日の出会い、そしてその道のり、
に集約された、
先に言っておくとろくな写真は無いので悪しからず。

この日はなんだかいつもより人と話した、
思えば大天井岳山頂で出会った人たちも何度か
見かけたり、声を掛け合ったりした。

初日の日没で薄着でちべたい、と言いながら長居していた秀ちゃん
同じようにじっと一時間以上も夕日を見つめていたゆうきまん

ガイドとしてお客を同伴し、しきりに好天を喜んでいた鉄さん、
踵の靴擦れの処置などアドバイスしてくれたし
牛首山に迷い込んだ話も ”また一つ登れたじゃない”と笑わせてくれた
そしてその雇い主の、丹沢大山を足慣らしにすると言う黒さん
(一部仮名)
槍でも会った、みな同じように大切な時間に山にいた。

戻るが三日目、
もしかしたら完全にブーストが外れちまったのか、
気前のいいペースに体が参らず、つい先を譲って頂きたく、
やんわりと学生さんですか?
と、声をかけた前の3人組は
実は中学生と高校生の息子を連れたお母様だった
しかし、ガレ場を下るその足取りに長い経験と、習熟を思わせられ、
また、子と登る山の気持はどんなかと、20分ほどか、中岳まで併走した、

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実際大宮からのこの家族は、槍もこれで三回目、それも全て違うルートから登ったと言う、
ほんとに山が好きなんだな、それが褪せないんだな、
少し登山から離れていた自分も恨めしかった。

さすがに息の上がったか、子供たちが休憩している中岳の頂上で先に分かれたが

気付くと家族のしんがりを務めてた時からもしっかり付いてきていて
単独行に戻った後も、離れない、長身のテント持ち、20kgザックのウッチー

話せば今年登山デビュー、そして今回初テント、
それでこのペースなら体力もセンスも十分だろう、
遥かの穂高岳山荘まで同行しようと誘った、

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槍、肩部から南岳山頂まで、約二時間半の行程を、ふたり2/3程度の時間で通過した
これなら大丈夫、
テント屋は重い荷物もさだめ、南岳からの大くだり、
そして岩場を巡ってまた登り、渋滞には悩まされたが、もの凄い景色、立ち止まってはなお興奮した
それが大キレットだともよく気付かずに通過した。

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南岳からおよそ二時間のガレの急登、混雑のあいま、給水しようとザックを開ければ。。

やったよ、忘れん棒大将軍、や、健忘二等兵

南岳山頂に確かに小バッグを出したまま忘れてきた
その中には財布、携帯電話、自宅の鍵、
そして動画カメラ・・・
置いて来て済む代物ではない。
選択肢は無い、戻るしかない、

ここで電話も無い僕に取り敢えず南岳山荘に電話しなよ、
と心良くAUを貸してくれた中年の大パーティーの人に感謝が尽きない
そして、ちょうど渋滞で同じく待ちぼうけしていた
小屋泊まりで軽身ではあるけど、素晴らしい脚力のダム好き青年、ぺピン(一部仮名)
も、
”もう一回大キレット越えて、行くより、迂回ルートのほうが楽なんじゃないですか”
って、? 本当に真剣に忠告してくれた
大キレット越えてたの知らなかったので、この道だったら
敢えて戻ったほうが早いと、来た道を急ぎ戻った。
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誘っておいて自分が撤退する、
すぐ後ろにいたウッチーの顔を見るのが辛かった、

ガレ場のしたではアンザイレンした鉄さんと黒さんが居た、
一言事情を言うと、
”これも最高のトレーニングだと思ってがんばれ”
この人には失敗の概念なんて無いんだと思った。

次々みんなにあった、
秀ちゃんもいた、ゆうきまんにも、もう戻り返して
穂高岳山荘には今日行けないだろう、少しばかり愚痴った。

その後には大宮のお母さんがいた、
”空身で取りに行けば良いじゃない”
それはつまり、忘れ物が見つかり、しかもまた必ず戻って来るということ、
そんなの不可能だと思った。

朝、ほんの一言、”行き先は何処まで?”
と聞き、奥穂です、と答えた、若いカップルは
”奥穂で待ってるよ”と笑いかけてくれた
そんなの不可能だと思った、ほんとに。

冷静に言えばもともとこの行程は槍から8時間強
そこを7時に出発している、
それをもし、二時間進んだ分を戻り、また目指すならプラス4時間
冷静に考えるならば不可能だ、
しかしとにかくそんなことはまず二の次、
カバンが無ければ、登山も何も無い、
必死でキレットを下り長谷川ピークもジャングルジムみたいなもんだ

1時間ちょっとでようやく南岳小屋に到着、
そこからの20分程度の頂上までの歩きの不安と迷いは、
まず、もう勘弁願いたい、あんな気持はない。

そして頂上、



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カバンが有った、しかもカメラ外出し
IPHONEもポケットからちらり、
それでも
三時間半、誰も取らずにそこにあった。

ジーザス。、

特定の神は信じないが、
そう叫んだ(嘘)
山に登る人間が善人かは問わないが、ただ山にいる人はやましい事をすることも無い
ほっとした後、心洗われた、こんな気持は無い。

時計を見れば12時半、
ジーーーーーーーーーーーーーーーっと、
考えた。
多分2分くらい。
天候が悪化していることも聞いたが、ここからのエスケープダウンも興味が無い。
とにかくもう一度キレットを越えることを決めた。
へばっていても三時間後には北穂高山荘につけるだろう、
そう踏んで
水を2リットル購入、
ポケットのレーズンをあるったけ頬張って、
水を一気飲み、もう休憩はしないと決意して、
再度穂高へ、

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3度目のキレットも、
自然は有り難い、さっきまでは晴天だったのに、
見る見るガスが出て、強風が岐阜から吹く、

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退屈しなくていいね。
前行のにいちゃん、装備はいいが腰が引けてるよ。
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さすがに北穂高の手前で脚が上がらない、
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悔しいくらいに体が止まりだした、



そんな時、
自然は乙だね、
ほんのちょいだが、北穂高直下で、ブロッケンが出た、



画像では美味く映らないんだが。。

そしてここで合流した名古屋からの気象予報士、丸ちゃんが
明日からの天気は絶望的です、だから僕も奥穂まで行きたい、
と、言い出せば、弱気になっていた自分にも何かが沸いてくる。

指針にしていた北穂高山荘には2時50分に到着、
小屋でまったりのおじさんに穂高岳山荘までの
予想時間を聞くと、顔をしかめて、3時間は絶対かかる、
今行くのは無謀だな・・・

嘘こけ、

僕らは南岳から2時間20分で来ました、
そういうと表情の読めない顔をした。

もう決めた、
絶対に穂高岳山荘に行く、


丸ちゃんと一回は涸沢への下りを間違えて進んでしまった
それを上り返す異常な苦痛、でももう行くしかないので、
正しいルートに戻って、じんまりと進む
朝4時に殺生ヒュッテを出発し、
もう11時間が過ぎた、
ガスで視界も利かない峻場をとにかく進めたのは
音楽のおかげ、
そして呼び返してくれた人たちの声のこだま、
そして残念そうにしてくれた人の顔、
やり通してこい、と、連休に送り出してくれた家族への恩返しか
見通しも何も利かない中、17時過ぎ、ついに涸沢岳に登頂、
後は小屋まで20分ほど下るだけ、
この時の下りのなんと嬉しかったこと、

そして穂高岳山荘の前で
秀ちゃんと再会した。。
戻ってきたのか、
そのあっけに取られた顔に、
少しばかり得意げになった僕はガキンチョ丸出しだったろう。

とにかくやり通した、アクシデントに自分を曲げない、
負けたものに勝つ、
これはやまおの心だと、
自分に酔った、そしてぶっ倒れたかった、
でも山小屋はちょーーーーーーーーー
混雑で中にも入れない、





その夜は秀ちゃんと二人、
小屋仮設の大型テントで、
山と愛と平和と音楽と女について語り合った、





次の日、4日目に残されたものは少ないが、
次回エピローグ的に。

by c7 | 2009-10-09 12:57 | 山歩き


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