始まりから書けばこうだ
20才のころ、知り合いだった2つか3つ年上の女の人が
昔で言うバセドウ氏病で、表参道の伊藤病院に入院した。
30年も前のこと、まだ治療や完治に不確実な時代だったか、
不安や、手術前の不安定な気持ちが、
その女性にあったのだと思う。
見舞いに行くと連絡した僕に
”vibes"という本がお土産に欲しいという。
きっと四谷三丁目と新宿御苑の間にある
レゲエの専門店で買えると思う、、、
そう言われ、今は店名も覚えていないが
その店に見舞いの前に立ち寄った。
雑居ビルの3階か4階だったと思う、
その店に入ると店主と思われるおじさんが
髪の毛をくちゃくちゃに伸ばして
甘い匂いのガラムをすぱすぱ吸いながら
こちらを優しい顔で見ている。
事前にちょっと調べてきた、
ボブ・マーリーという人に少し風貌が似ていると思った。
そのおじさんに
”VIBES”という本が欲しいんですけど、と言うと、
”そっかーー、そうなんだ、あるんだけどさ、
新しく出たやつしかなくて、それは載ってない歌詞もあってさ、
昔の初版のやつ、売りもんじゃないんだけど
1冊あるから、もしほしいなら、全部コピーしてきてもいいよ”
こういう提案を受けることを全く予想していない。
すごい本なのか、それほど貴重な詩なのか、
想像というより妄想が果てしも無く膨らんだ。
実際には
”いや、これからその本病院にいる人にお見舞いに持って行くんで
時間ないので今あるやつでいいと思います。!”
そう答えるとおじさんは少し寂しそうに
ガラムをすぱすぱ吸いながら、
”そうか、今度はレコードも買いに来なよ”
まだ若かった僕はいろんな人から薫陶を受けたり、
可愛がられた時分でもあった。
店を出て、駅までの道に少し歩き読みした。
・・・なんて表現したらいいのか正直分からない、
ただ、その頃日常的に親しんでいた
ロックンロールの、ギラギラした歌詞とは
本当に真反対に思えた。
素直に正直に、愛を唄い、好きな人に照れも隠れもせずに
語りかけ、平和に、幸せに暮らそうと綴っている
そんなお為ごかしが信じられないからこそ
ロックの反抗的な姿勢を支持していたのに
何故かその本は嘘くさいって、決めつけられなかった。
若いころは今よりも集中力に長けていたのか、
電車に乗るのも忘れて、このまま歩いて行こう読みながらと
そう遠くは無い、表参道まで外苑西通りを歩きながら、
その本を、歌詞集を読んだ。
それが僕のボブ・マーリーと初めての出会いだった。
その当時、すでに白人長髪ロックから、少し距離が出来ていた、
夜中の渋谷ピットインで、どファンクバンド、
”DAZZ BAND”のライブに誘われ体験してから、
少なくとも頭の半分は黒人音楽に移行していた自分にとって
ボブマーリーの音楽への拒否反応全くない、
どころか、
恐ろしく刺激的でそれでいて優しく、
暖かい海辺でも、冬に熱燗を飲みながらでも聴いた。
以来、ずっとボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズを聞いていた、
わけでは無いので
他の好きな音楽と、それら合間に
つかず離れず、時には離れて。
その音楽と付き合ってきた。
少し話が逸れるが、
結婚し、家を買い、子供もそこそこ大きくなった頃、
コンマリ何とかに傾倒した嫁が、断捨離に意欲的になり
ITUNEで全部吸い上げていたCDを、”捨てればいいじゃない”、と、おっしゃった。
いや人に罪は押し付けるべきでもない、自分がその手を下して
300枚かそこらあったCDは、ほとんどゴミとなり、
希少なものは売りさばいた。
残ったデータのみの音楽。
当時のPCのITUNEは突如クラッシュし、PC側の7千か8千程入っていた音楽データはすべて消えた、
あえて残っていると言えば、もう電話として動きもしない、古いIPHONE3でのみ
聴けると言えば聴ける。
捨てる決断をしたのは紛れもない自分だ。
だが少々の恨み節は残る、
とはいえ家内を責める気は端から無い、
彼女も断捨離をイディオムとして良かれと思ったのは理解している。
悪いのはコンマリなんとかだろう、
そしてそれを絶賛したトキめき魔法女子、
と、大量消費大量廃棄の国アメリカ合衆国だ
それがすべての元凶だ
アメリカの名。だって、
アメリカは合衆国USの看板ではない。
エルネスト・ゲバラが掲げた通り、真のアメリカ主義で言うのは
北米も、ベネズエラも、アルゼンチンも、キューバもジャマイカも
みんなアメリカだ、それが本当のアメリカだ、
俺はゲバラを信望する。
ボブにも、ゲバラにも NESTという言葉が名前にある、
この二人俺は烈しく賛美する。
完全に逸脱しました、興奮したけどそのまま書きます、
で、
その大量廃棄の末路の中で奇跡的にお陀仏を免れたCDブックレット、
これがボブ・マーリーの没後メモリアルに生産された
4枚組CD集だった。
実に沢山の楽曲を残したボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズだが
このベスト盤の選曲は極めて素晴らしい。
いつでも聞き返し、何処にでもゆける。
僕にとってそんな音楽だ、それはもちろん今でも
レゲエの話だが
何年か前、ちょうど初音ミクで、お宅たちが自分で作った曲をネットにアップし
”俺の嫁の歌を聞いてくれ”とコメントを打つ流行りがあった、
そんなころ、
”俺のスペインの嫁の歌を聞いてくれ”
と、ALBA MARBA
なる女性シンガーを、何度かあちこちで紹介したが、
それも元はボブの、
WAITING IN VAIN
という、哀切な恋の別れの歌があるのだけど
それを元 ユーリズミックスの
アニーレノックスがソロアルバムでカバーしていた、
それの映像を動画サイトで探していたところ、
件のアルバが、おなじWAITING IN VAIN をカバーしている
アップロードを見つけた、
飛び切り可愛い彼女は金髪のドレッドロック、
鼻にピアスのセプタムやノストリルをして
華奢な体で小鳥のような声で。
でも歌はちゃんとレゲエだった。
今もってALBA MARBA
の行方はちゃんとチェックしているが(大分おおばさんにはなった)
彼女がメジャーレーベルから音源を配信しているか、ライブやツアーがあるのか
そもそも、ちゃんとしたミュージシャンなのか、全く知らない。
ただ、YOUTUBEで見、インスタで見、その音楽を知るだけだ、
これも、また、新しい音楽との出会いの方法かもしれない、
と、思ったりする。
言われれば死んだ表現者は神格化されやすい傾向にはあるだろう
リバーフェニックスしかりチャールズブコウスキーもまた、
ジャガタラ サブライム 尾崎豊
ザ・フー ジャニスジョプリン、
枚挙に暇が無いが、
それでも。
ロバートネスタ・マーリーが残したものは、
自分の中では少し違う形で居場所を持っているように思う。
色々な音楽家もボブへの敬意を表すにいとまがない。
レッドホットチリペッパーズでさえ。
全盛期だった黒いジョンレノンの頃のレニー・蔵櫃の
ライブに、ボブの母、セデラ・ブッカーが壇上に現れたことがある。
その時レニーは、まるでチベット僧の五体投地のように
全身でボブの母を拝んだ。
ある種の人にとっては、ボブは神と等しい、
その生みの母はまさに聖母に等しい
最後に少しビーフを。
話を冒頭のVIBESに戻すと、
この言葉はまさにボブの真言なのだが、
しばらくすると粋な表現として独り歩きを始める。
アメリカの黒人音楽家が頻繁に使うようになるが、
これを日本のラッパーとかいう人たちが
表面だけなぞる様に使いだしたから
これはいけない
"VIBESはまんたーーん!”
とか言ってるが、正直寒気と吐き気がする
VIBESが満タンになるわけがない、
満ち切ることも、全くなくなることもない、
フローだから。
波長やうねりに、満タンもカラッケツもない。
こういう人たちがいることは
すごく悲しい。
けど
だけど
ボブ・マーリーはそれも許すのかもしれない。
イギリス人で、超富裕層だった父との関係は最悪で
捨て子のように扱われた。
不幸な、貧しい暮らしだったはずだ、
そして奴隷としてアフリカから連れてこられた
自分たちのルーツからも目を逸らさなかった。
そんな男が、だからこそgood vibrationと語りかけて
勇敢にそして偽りなく、
争いの無い平和な世界を祈ったのだと思う。
この時代に、
彼が居たら、と。
うような世の
中かもしれないが
彼の言葉を借りれば
get up stand up , stand up for your rights
don't give up the fight
最後に付録的な意味でいいので
一曲、原文と対訳を置いておきます。
その昔、レゲエサンスプラッシュというイベントが
まだ晴海の空き地で行われていたころ、
ボブの生誕か、逝去か、の何周年かと
の記念と銘打った年に、仲間たちと参加した。
25か26の頃だったと思う。
後年その年のイベントは伝説に残るほどの急性アルコール中毒者が
発生した時だった、救急車が引きも切らない、
時に会場では松脂を焼いたような甘い香りも漂った、、
そしてクライマックスには突如、雷が鳴り、ものすごい大雨となったが、
そのさ中最後の曲がこの救済の歌だった、
マキシプリーストが演奏した記憶がある
みんなが合唱し、知らぬ者が肩を抱き合った。
そんな思い出。
redemption song
Old pirates yes they rob I
Sold I to the merchant ships
Minutes after they took I
From the bottomless pit
But my hand was made strong
By the hand of the almighty
We forward in this generation
Triumphantly
All I ever had, is songs of freedom
Won't you help to sing, these songs of freedom
Cause all I ever had, redemption songs
Redemption songs
Emancipate yourselves from mental slavery
None but ourselves can free our minds
Have no fear for atomic energy
Cause none of them can stop the time
How long shall they kill our prophets
While we stand aside and look
Some say it's just a part of
We've got to fulfill the book
Won't you help to sing, these songs of freedom
Cause all I ever had, redemption songs
edemption songs, redemption songs
Emancipate yourselves from mental slavery
None but oursekves can free our minds
Have no fear for atomic energy
Cause none of them can stop the time
How long shall they kill our prophets
While we stand aside and look
Yes some say it's just a part of it
We've got to fulfill the book
Won't you help to sing, these songs of freedom
Cause all I ever had, redemption songs
All I ever had, redemption songs
These songs of freedom, songs of freedom...
昔 略奪者どもはこの俺たちを力づくで捕らえ
奴隷商人の船に売っ払った
そのすぐ後で 奴らは絶望のどん底に突き落とされた俺を買い取った
だが 俺たちの手は頑丈にできている
全能の神が授けてくれた手だ
大いなる誇りを持って
この時代を進んでいく
俺が今まで歌ってきたのは
全て解放の歌だ
この自由の歌を
一緒に歌ってくれないか
なぜなら俺が今まで歌ってきたのはすべて救いの歌だ
救いの歌だけなんだ
精神的奴隷の状態から
自分自身を解放せよ
俺たちの精神(こころ)を解き放てられるのは
他の誰でもなく 俺たち自身なのだ
原子力など恐れるな
やつらに時まで止めることはできやしない
あまりにも長いこと 奴らは
俺たちの予言者を殺し続けてきた
俺たちは傍観していただけだった
あるものはそれは聖書に
書かれているという
そして 俺たちは
予言の書を
完成せねばならない
この自由の歌を
一緒に歌ってくれないか
なぜなら 俺が今まで歌ってきたのは
全て救いの歌だけだ
そう 俺の歌ってきた歌は
すべて救いの歌なんだ