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エクスペリエンスの彼岸



エクスペリエンスの彼岸_f0052956_12120023.png



先日って、昨日の晩
少し実験的な味わい方として、こころみたのが

鹿児島在住のDJ 
野さん
のミックスしてくれた1時間ちょいの
テクノミュージックを
telegramで受け取り、
それをほぼ同時タイミングで双方で聞きながら
コメント、解説をチャットでする、
かってに"listen party"

って名付けてやってみた。

今facebookではにわかにwatch partyってにぎわっていて

要するに同一プラットフォームで
ストリーミングで同じ動画を、それぞれの空間で個別に存在しながら
共有体験するってやつ。

これからの未来形ってことより
むしろクラスターな今こそ、これ有用な気がした。

クラブやホールやイベントスペース、スタジアム
競技場には酷だけど
今は個人宅で離れた仲間と聴くも、観るも
リアルタイムで参加出来る遊び、すげーいいと思うんだよね

シンクロするには同一プラットフォーム必須だから
これは日本なら、facebookでいいと思う、
これをテレビとかでも再生出来て
チャットやコミュニケーションは、ポータブルデバイスで
すればいいと思う、lineでも、メッセンジャーでもなんでもいい。

特に現代はすぐに反応しなくてもいい、程よい付き合いが好まれるから
あえてボイスチャットとかより、メッセージでいいじゃない?

スポーツ観戦でも、ライブでも、これでみんな参加すれば
家にいるオーディエンスが10万人ってことだって可能だし、

アスリートや演者に何らかのアクションを伝えるための
デバイスや環境だって、通信技術者、業者がどんどん開発してくれればいいと思う

実際のこの感染症の展開で
通信業は飛躍的に活況になるはずだから
この恩恵をみんなに還元して欲しい。


なにより、その原初って
鹿児島と東京と1000km離れた場所で
同じ音楽を楽しみながら、コミュったのがすごい嬉しい体験だったから。

1時間共有して、最後チルアウトした午前1時、
淀みなく眠りについた、

ベッドに居ながらにして
日常では無い体験をして帰った後の
家みたいな安らかさだったんだよね


# by c7 | 2020-03-26 12:15 | 愛読愛聴

マウンテンとわたし


マウンテンとわたし_f0052956_17061685.jpg



2月8日


夏以来のソロ山行で、大月市の山に登った件は


すでに山のアプリ系サイトで雑感として書いた、写真も。


行程記録としてはそちらに委ねるとしても


なにを生きてそして山に登って、そしてこう書くのか自分の検証確認のために








自由放蕩の次男坊が好きなように生き、死に損ないになったりもして
いつの間に



家族の為に生きて10数年たち、これからの生き方に虚無が無い、



とは正直言い切れない。


もちろん今も家族が自分の制御装置でそれこそが最も必要なことは
これは頭としては納得している、つもりでいる。
が、しかし、これから死にゆくのだから




死ぬまでは自分の人生は自分でいたい思う、


好きなことをしたいというのもちょっと違う



死んだあと家族に残したいものはあるが、
自分は持つ物無く両手で印を結んで野で死んでもいい。

ただ、そこまでは、一日過ぎてそれでも消えないものが欲しい
記憶でも文章でもいいから、
これからどんどん消えていく自分の足跡を


有形であれ無形であれ。






著名になる為、富を生むために行を重ねようとは更々思わない。




これは偽善でもなんでもなくて、




創作力や文章に自信を失い自滅自死する物書きのなんと多いことか、



別に金や他人に恵まれよう認められようと思いさえしなければ、


明日明後日来月来年でも、いいものが書ければそれでいいのだから。
対価に依存して書いてはいない。




山も同様だと思う。





そもそも自意識過剰な自分にとって確かに
今風に言うなら承認欲求もあろだろう




ただ一つ。他人に期待すると、傷つく





自分が自分の中にあるコスモスと暗黙裡に契を結ぶのが最も素晴らしい、
それには言葉さえ無用だろうが。それでも自分には書くことしか

対象と関係を持てない気分もするので


消去法でこれしかない。









山は音楽家としての道をあきらめた20代前半の
猛烈な喪失感から救ってくれた生き方だった、





飽きっぽい男がつかず離れず、まあ正直1年行かないことも時にはあったが
それでもここまで4半世紀の間やめなかったことは
生来の習いなんだと思う、


勿論これからは、朽ちていく体と相談しながらだけど。






登りは楽しい、辛いけど楽しい、

マゾヒズムか、
直観としてそうなんだからしょうがない




降りは、どうしてもやっつけ仕事のようになってしまう

高所登山はまた別で、恐らく最も神経を使うのは氷壁の下りだろう
その点低山歩きの部類では、退屈だし、もってのほか達成感もあまりない。


ただ、行程が長く人寂しいほど、降っていく道は
人間の世界に帰る、そんな満たされ方はあるな












今回の山で、
あまり普段気にしたこと無かった
山のにおい。土とか、枯れ木とか、風の

それがすごく気持ち良かったし、それでよかったって感じた。

感覚はやがて衰えるかもしれないが、感性はそれを補ってさらに鋭敏になることもできる、
そう思うとアンテナは錆びない細やかな光明。

ただしかし、感性が過ぎればきっと傷つく、

その代償は払わされるし
払うつもりでいる。




鈍感なアクセルローズみたいな人間になりたくないから
死なないように生きる、カートコバーンが最もいい








# by c7 | 2020-03-06 17:18 | 山歩き

forever bob marley ~ レゲエとわたくし

forever bob marley ~ レゲエとわたくし_f0052956_03244139.jpg




始まりから書けばこうだ

20才のころ、知り合いだった2つか3つ年上の女の人が
昔で言うバセドウ氏病で、表参道の伊藤病院に入院した。
30年も前のこと、まだ治療や完治に不確実な時代だったか、
不安や、手術前の不安定な気持ちが、
その女性にあったのだと思う。




見舞いに行くと連絡した僕に
”vibes"という本がお土産に欲しいという。


forever bob marley ~ レゲエとわたくし_f0052956_03123696.jpg
きっと四谷三丁目と新宿御苑の間にある
レゲエの専門店で買えると思う、、、


そう言われ、今は店名も覚えていないが
その店に見舞いの前に立ち寄った。

雑居ビルの3階か4階だったと思う、
その店に入ると店主と思われるおじさんが
髪の毛をくちゃくちゃに伸ばして
甘い匂いのガラムをすぱすぱ吸いながら
こちらを優しい顔で見ている。


事前にちょっと調べてきた、
ボブ・マーリーという人に少し風貌が似ていると思った。

そのおじさんに
”VIBES”という本が欲しいんですけど、と言うと、

”そっかーー、そうなんだ、あるんだけどさ、
新しく出たやつしかなくて、それは載ってない歌詞もあってさ、
昔の初版のやつ、売りもんじゃないんだけど
1冊あるから、もしほしいなら、全部コピーしてきてもいいよ”


こういう提案を受けることを全く予想していない。


すごい本なのか、それほど貴重な詩なのか、
想像というより妄想が果てしも無く膨らんだ。


実際には
”いや、これからその本病院にいる人にお見舞いに持って行くんで
時間ないので今あるやつでいいと思います。!”

そう答えるとおじさんは少し寂しそうに
ガラムをすぱすぱ吸いながら、
”そうか、今度はレコードも買いに来なよ”
まだ若かった僕はいろんな人から薫陶を受けたり、
可愛がられた時分でもあった。

店を出て、駅までの道に少し歩き読みした。



・・・なんて表現したらいいのか正直分からない、

ただ、その頃日常的に親しんでいた
ロックンロールの、ギラギラした歌詞とは
本当に真反対に思えた。
素直に正直に、愛を唄い、好きな人に照れも隠れもせずに
語りかけ、平和に、幸せに暮らそうと綴っている

そんなお為ごかしが信じられないからこそ
ロックの反抗的な姿勢を支持していたのに

何故かその本は嘘くさいって、決めつけられなかった。

若いころは今よりも集中力に長けていたのか、
電車に乗るのも忘れて、このまま歩いて行こう読みながらと
そう遠くは無い、表参道まで外苑西通りを歩きながら、
その本を、歌詞集を読んだ。

それが僕のボブ・マーリーと初めての出会いだった。

その当時、すでに白人長髪ロックから、少し距離が出来ていた、

夜中の渋谷ピットインで、どファンクバンド、
”DAZZ BAND”のライブに誘われ体験してから、
少なくとも頭の半分は黒人音楽に移行していた自分にとって
ボブマーリーの音楽への拒否反応全くない、
どころか、
恐ろしく刺激的でそれでいて優しく、

暖かい海辺でも、冬に熱燗を飲みながらでも聴いた。

以来、ずっとボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズを聞いていた、
わけでは無いので
他の好きな音楽と、それら合間に
つかず離れず、時には離れて。
その音楽と付き合ってきた。


少し話が逸れるが、
結婚し、家を買い、子供もそこそこ大きくなった頃、
コンマリ何とかに傾倒した嫁が、断捨離に意欲的になり
ITUNEで全部吸い上げていたCDを、”捨てればいいじゃない”、と、おっしゃった。
いや人に罪は押し付けるべきでもない、自分がその手を下して
300枚かそこらあったCDは、ほとんどゴミとなり、
希少なものは売りさばいた。

残ったデータのみの音楽。

当時のPCのITUNEは突如クラッシュし、PC側の7千か8千程入っていた音楽データはすべて消えた、

あえて残っていると言えば、もう電話として動きもしない、古いIPHONE3でのみ
聴けると言えば聴ける。

forever bob marley ~ レゲエとわたくし_f0052956_03283877.jpg



捨てる決断をしたのは紛れもない自分だ。
だが少々の恨み節は残る、
とはいえ家内を責める気は端から無い、
彼女も断捨離をイディオムとして良かれと思ったのは理解している。

悪いのはコンマリなんとかだろう、
そしてそれを絶賛したトキめき魔法女子、
と、大量消費大量廃棄の国アメリカ合衆国だ
それがすべての元凶だ

アメリカの名。だって、
アメリカは合衆国USの看板ではない。

エルネスト・ゲバラが掲げた通り、真のアメリカ主義で言うのは
北米も、ベネズエラも、アルゼンチンも、キューバもジャマイカも
みんなアメリカだ、それが本当のアメリカだ、

俺はゲバラを信望する。
ボブにも、ゲバラにも NESTという言葉が名前にある、
この二人俺は烈しく賛美する。




完全に逸脱しました、興奮したけどそのまま書きます、


で、
その大量廃棄の末路の中で奇跡的にお陀仏を免れたCDブックレット、
これがボブ・マーリーの没後メモリアルに生産された
4枚組CD集だった。
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実に沢山の楽曲を残したボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズだが
このベスト盤の選曲は極めて素晴らしい。

いつでも聞き返し、何処にでもゆける。
僕にとってそんな音楽だ、それはもちろん今でも

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レゲエの話だが
何年か前、ちょうど初音ミクで、お宅たちが自分で作った曲をネットにアップし
”俺の嫁の歌を聞いてくれ”とコメントを打つ流行りがあった、
そんなころ、
”俺のスペインの嫁の歌を聞いてくれ”

と、ALBA MARBA
なる女性シンガーを、何度かあちこちで紹介したが、

それも元はボブの、
WAITING IN VAIN
という、哀切な恋の別れの歌があるのだけど
それを元 ユーリズミックスの  
アニーレノックスがソロアルバムでカバーしていた、
それの映像を動画サイトで探していたところ、

件のアルバが、おなじWAITING IN VAIN をカバーしている
アップロードを見つけた、



飛び切り可愛い彼女は金髪のドレッドロック、
鼻にピアスのセプタムやノストリルをして
華奢な体で小鳥のような声で。

でも歌はちゃんとレゲエだった。

今もってALBA MARBA
の行方はちゃんとチェックしているが(大分おおばさんにはなった)
彼女がメジャーレーベルから音源を配信しているか、ライブやツアーがあるのか
そもそも、ちゃんとしたミュージシャンなのか、全く知らない。

ただ、YOUTUBEで見、インスタで見、その音楽を知るだけだ、
これも、また、新しい音楽との出会いの方法かもしれない、
と、思ったりする。




言われれば死んだ表現者は神格化されやすい傾向にはあるだろう

リバーフェニックスしかりチャールズブコウスキーもまた、
 ジャガタラ サブライム 尾崎豊

ザ・フー ジャニスジョプリン、
枚挙に暇が無いが、

それでも。

ロバートネスタ・マーリーが残したものは、
自分の中では少し違う形で居場所を持っているように思う。

色々な音楽家もボブへの敬意を表すにいとまがない。
レッドホットチリペッパーズでさえ。


全盛期だった黒いジョンレノンの頃のレニー・蔵櫃の
ライブに、ボブの母、セデラ・ブッカーが壇上に現れたことがある。
その時レニーは、まるでチベット僧の五体投地のように
全身でボブの母を拝んだ。
ある種の人にとっては、ボブは神と等しい、
その生みの母はまさに聖母に等しい




最後に少しビーフを。

話を冒頭のVIBESに戻すと、
この言葉はまさにボブの真言なのだが、
しばらくすると粋な表現として独り歩きを始める。

アメリカの黒人音楽家が頻繁に使うようになるが、
これを日本のラッパーとかいう人たちが
表面だけなぞる様に使いだしたから
これはいけない

"VIBESはまんたーーん!”
とか言ってるが、正直寒気と吐き気がする

VIBESが満タンになるわけがない、
満ち切ることも、全くなくなることもない、
フローだから。

波長やうねりに、満タンもカラッケツもない。

こういう人たちがいることは
すごく悲しい。
けど

だけど

ボブ・マーリーはそれも許すのかもしれない。

イギリス人で、超富裕層だった父との関係は最悪で
捨て子のように扱われた。
不幸な、貧しい暮らしだったはずだ、
そして奴隷としてアフリカから連れてこられた
自分たちのルーツからも目を逸らさなかった。

そんな男が、だからこそgood vibrationと語りかけて
勇敢にそして偽りなく、
争いの無い平和な世界を祈ったのだと思う。


この時代に、
彼が居たら、と。

うような世の
中かもしれないが

彼の言葉を借りれば

get up stand up , stand up for your rights
don't give up the fight




最後に付録的な意味でいいので
一曲、原文と対訳を置いておきます。



その昔、レゲエサンスプラッシュというイベントが
まだ晴海の空き地で行われていたころ、
ボブの生誕か、逝去か、の何周年かと
の記念と銘打った年に、仲間たちと参加した。

25か26の頃だったと思う。

後年その年のイベントは伝説に残るほどの急性アルコール中毒者が
発生した時だった、救急車が引きも切らない、
時に会場では松脂を焼いたような甘い香りも漂った、、


そしてクライマックスには突如、雷が鳴り、ものすごい大雨となったが、
そのさ中最後の曲がこの救済の歌だった、
マキシプリーストが演奏した記憶がある


みんなが合唱し、知らぬ者が肩を抱き合った。





そんな思い出。


redemption song



Old pirates yes they rob I
Sold I to the merchant ships
Minutes after they took I
From the bottomless pit

But my hand was made strong
By the hand of the almighty
We forward in this generation
Triumphantly

All I ever had, is songs of freedom
Won't you help to sing, these songs of freedom
Cause all I ever had, redemption songs
Redemption songs

Emancipate yourselves from mental slavery
None but ourselves can free our minds
Have no fear for atomic energy
Cause none of them can stop the time

How long shall they kill our prophets
While we stand aside and look
Some say it's just a part of
We've got to fulfill the book

Won't you help to sing, these songs of freedom
Cause all I ever had, redemption songs
edemption songs, redemption songs

Emancipate yourselves from mental slavery
None but oursekves can free our minds
Have no fear for atomic energy
Cause none of them can stop the time

How long shall they kill our prophets
While we stand aside and look
Yes some say it's just a part of it
We've got to fulfill the book

Won't you help to sing, these songs of freedom
Cause all I ever had, redemption songs
All I ever had, redemption songs
These songs of freedom, songs of freedom...





昔 略奪者どもはこの俺たちを力づくで捕らえ
奴隷商人の船に売っ払った
そのすぐ後で 奴らは絶望のどん底に突き落とされた俺を買い取った
だが 俺たちの手は頑丈にできている
全能の神が授けてくれた手だ
大いなる誇りを持って
この時代を進んでいく
俺が今まで歌ってきたのは
全て解放の歌だ
この自由の歌を
一緒に歌ってくれないか
なぜなら俺が今まで歌ってきたのはすべて救いの歌だ
救いの歌だけなんだ

精神的奴隷の状態から
自分自身を解放せよ
俺たちの精神(こころ)を解き放てられるのは
他の誰でもなく 俺たち自身なのだ

原子力など恐れるな
やつらに時まで止めることはできやしない
あまりにも長いこと 奴らは
俺たちの予言者を殺し続けてきた
俺たちは傍観していただけだった
あるものはそれは聖書に
書かれているという
そして 俺たちは
予言の書を
完成せねばならない
この自由の歌を
一緒に歌ってくれないか
なぜなら 俺が今まで歌ってきたのは
全て救いの歌だけだ
そう 俺の歌ってきた歌は
すべて救いの歌なんだ







# by c7 | 2020-02-29 03:41 | 愛読愛聴

読評 佐藤初女  「いのち」を養う食

読評 佐藤初女  「いのち」を養う食_f0052956_12420217.jpg



少し軽い感じで
一冊読評を。

昔からわたし食については無視出来ないように作られてるようで

佐藤初女さんという人を意識したころがある。
佐藤さんは
龍村仁監督の”ガイアシンフォニー2”で取り上げられた
青森で、森のイスキアなる、まあ、ちょっとがんばれ学級みたいな
施設を運営していた人です。

食べ物は命、食は命、
手間も暇も惜しまない、手作りの料理が
人を癒やした。

その佐藤さんは何年か前にお亡くなりになったが

その自書を初めて読みました。


結果的に言うと、
同調する点も多いのだけど
違和感を感じることもあった。

意見や主張がはっきりしていてぶれないってことかもしれないが、
物事に断定的な面が見られる。

たとえばお味噌汁に入れる豆腐はこう切るべきだ。
とか、あるのだけど、
それは表面の現われであって、
別の方法でもいいのでは、とおもったりする。
真髄は物の切り方ではないんじゃないかってね。

お結びの形はこうじゃないといけない、
とか、おにぎりという言葉はあまり好きじゃないから
わたしのは、お結び。
とか、

真髄は型には現れないのでは無いかと、

タオ的には、思ってしまった。


ただ、
佐藤さんの、人参も、ブロッコリも命です。
命の受け渡しの無い食はない。の意見にはわりかし賛成したい

ちなみに、チベット仏教では自分で動かないものは命が無い。

ダライラマ14世に花に命はありますか、と聞けば。
即、ありませんと答える。


そうでないと、
仏門の殺生しない食事というのは成り立たないわけだし。


ただ、自分としては命をくうのだ、としていいと思う。

試しに、土は
全く食事にならない。

そこは一片の命も無いからでは、
と思う。



死んでカラスに食われたいかは、ちょっとわからないが

何かの糧にはなればいいいと思う。




*結局長いな






# by c7 | 2020-02-26 12:45 | 愛読愛聴

2020/01/17 ラベットラ ダ オチアイ


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さて、2020年 1月17日はかみさんの何十回目かの誕生日、
色々トラブルも絶えない我が家だが、
リチュアルなものを変わらずと言うのも
きっと大事かと、


かみさんが好みそうなレストラン、は何だろう。
と考えて今回は行き着いたのが
”ラベットラ ダ オチアイ”

これは今更ながら少々ミーハーな選択は承知のことだった。
かみさんも一人のおばさん、
世のおばさんはなぜか落合努が好きなんだ。

もちろん落合さんの功績を貶めるつもりは全くない、
イタリアンをいい意味で良心的な価格に安定させたことも
他の料理人では出来なかっただろう。


味について、は。
ちょっとこれから書いていくことだが。

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まだ落合さんが今ほど有名ではなかったころ
もしかしたら30年くらい前のことだけど、
外食好きの後輩が行きたいって言った所が
赤坂のTBSの地下にあった、
当時落合さんが料理長をしていたグラナータ だった。



正直すごいインパクトだった、
まだ20代も若いころの自分にとって
イタリアンって言ってもせいぜいスパゲティー何種類かくらいしか
知らない。

メニューには意味不明なイタリア語の料理が沢山載っている

それに一番驚いたのは、客は日本人より
圧倒的に白人が多い、イタリア人ばかりかそれはわからないけど。


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その欧米人たちが、
彼らが昼から白ワインを飲みながら
巨大なプリッツみたいなものを食っている。

グリッシーニなんて知るはずもなかった。

すべてが未知数すぎて、
味がどうだったとかは実際覚えてない。
ただイタリアンという異次元を知った感じだった。
そのあとから落合さんのベットラ快進撃が始まるのだが、
あまり知ったものではなかった。
知っているのはとにかく予約が取れない店っていうこと、
個人的には、長時間並んだり、
必死に予約を取るような店にはそれほど興味が無い。
それでも日本ではその手の店が強く評価されるのもわかっていて、

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ひとえにかみさんの興味もあり、
10年前の入籍記念日4/17 シイナの日に
3才の娘もつれて
ランチに訪れた。



ミーハーな客層に好意的になれなかったこともあるだろうが、

味を評価することはできなかった。

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ハートに触れるような個性は無いし、
不味くは無いが凡庸だと思った、

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名物のウニスパゲティーは
水っぽくシャバシャバに感じた

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お上りさんやイタリアンに疎い接客の対応に
ホールのスタッフも疲れているのか
丁寧には思えなった。



まあ、一応の体験としてはこれでいいじゃないか、
そしてベットラとはこの時点で終わりでもいいかと思った。



と、言いながら今年

2020/01/17に再訪となったのは
もしやディナーならもう少し違ったことになるのかと思ったのもある、

それに味やお店のクオリティーがよしんば評価に値する程でなかったとしても、
かみさんはラベットダラオチアイでディナーの機会を
喜ぶだろうと思った。



味は、化学式ではないから。



そして今回の訪いで、
感じたベットラのあれこれをまず先に言うなら、

味は、凡庸なのではなく王道なのか。
奇抜な個性は無くていいのだろう、日常を繰り返すのなら、
飽きられるものよりも、持続可能な料理が良いのかも
そして、接客というよりは、ホールのスタッフは誠意があって
サービスの本質を改めて考えてさせられた。


話はあらぬ方に飛びますが。
個人的に本当に美味しいものを食べたとき、
いやむしろ味というより、
本当に意味があるものを食べたときに多分、

背中がぞくぞくして、ちょっと震える時がある。
美味しいものは日々あるが、これはめったなことでは起きない、

それが、今回いただいた食事で2度ほど出た。。 娘が満面の笑みで頬張った、
4種類のチーズのペンネ、

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4種類って何だろうって話になったとき、
ゴルゴンゾーラ、、、
かみさんは、”うーん、チェダーとかじゃない?”
イタリアンでチェダーは使わないだろう、
それも微笑ましいと思った。

ホールのおねえさんに教えて貰った
正解は
”ゴルゴンゾーラ、パルメッジャーノ、ペコリーノ
そして初めて知った フォンティーナ”

娘が分けてくれた一口で、背中がぞくぞくと痺れた


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いわくつきのウニのスパゲティーは、
前回10年前も食べて、水っぽいと感じた一皿

今回あえて頼んでみたその味は

これまた背筋に電流だった。

前回より確実に美味かったのか、
自分の理解力が上がったのか、
とにかく美味かった。

思い返してみたら、電流が走ったのは
なんと7年くらい前、山形の友人の家を訪ね、
そこで出された飛んでもない里芋、
”佐藤さんの甚五右ヱ門芋"以来だった

他の料理もそう。
とにかくキザな料理じゃない。
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超高級食材でもないし、とびぬけたインパクトは確かに無いんだけど。

よく味わうと、飽きの来ない、繰り返し楽しめる
当世言うサスティナブルな料理だった




接客は。

前回、なんとなくシステマチックというか、
流れ作業のような気もしたのだ。

今回はそれは大分違って感じた、
パンを嬉しくて食べ過ぎた娘は
メインのロースステーキ序盤で満腹を訴えた、

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その様子を見とめたホールの責任者風の男性は
お持ち帰りにしましょうか?
と進言してくれた、
このサービス自体は珍しくはなかろう。

おみや文化は寿司屋でもよくあるし
欧米の飲食店なら、食べ残しを包むのは一般的だ。

それでもこの時の一言の持つ雰囲気が
ただ感じ良くて、心が死んでないって思えた。

別れしなに、店の外で手を振りながら、”パンにはさんで食べても美味しいよ!”
の一言も、料理に対する愛の一片ではなかろうか。

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そして、
小雨の23時、タクシーに乗り込んだ私達の目にベットラのホールの女性が、
荷物を抱えて懸命に走っている姿が飛び込んできた。

”お客さん何かわすれもしたのかね”??


それはなんと家内だった、、 買い物の袋を忘れた彼女、
その荷物を私たちが遠ざかった方角に
必死になって追いかけて来てくれたのだ。

勝手だけど、ベットラのスタッフは
ある類のサービスを守る大切さを知っているのだな。

味は化学式ではない

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あらゆる取り巻くアトモスフィアが
五感に作用するに違いない

背中がぞわぞわするのは一つの方程式かもしれないが、
それだってやはり味だけではない。

選択肢に他のイタリアン、フレンチもあった。
ましてや新しい店、新しい料理を試したいって気分もあったけど、

結果的に、
訪れたベットラに、教えらたことが多い。

料理というのは外食という以前に
料理だということ。



20年持ちこたえている店にはちゃんと理由があるんだろう

感覚だけど、ベットラはこれからも潰れないだろうって思った。
頻繁に行くことはないだろけど
ちょっと
応援したい。

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惜しいとすれば
やはり客層はおばさんや女性主導のカップルが多く、
イタリア料理への愛は乏しそうに思えた

30歳くらいのカップルは食事の間中
メルカリで洋服を検索していた。

外食で過ごす時間の、なにが一番大事なのかは論ずるすべもないけど。
いまそこの、
料理人や、サービスや、
牛や豚や魚や
トマトや人参や、
一緒に食事している人に感謝した方が、良いような。

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そんな風には
思います。


# by c7 | 2020-02-25 12:45 | 外食